2023/11/03

引き寄せの法則と非二元の教え

前回のブログで、ロンダ・バーンの「ザ・グレイテスト・シークレット」について書きました。でも、私の中のひねくれ爺さんが、もう少し言いたいことがあるというので書いています。

一般的に非二元の教えでは、自由意志はないと言います。そもそも、その自由意志の主体である「私」はいないというのが非二元の教えの根幹ですので、自由意志があるかないかと問うこと自体がおかしい。もし、「自由意志はある」と言えば、その主体である「私」がいることになる。もし、「自由意志はない」と言っても、そこには自由意志を持っていない「私」がいることになってしまう。

それゆえ、自由意志があるとかないとか問うこと自体が間違い。「私」は実在ではない。そこで終わり。では、「引き寄せの法則」はあるのか? これも同じ理屈が成り立つような気がします。誰が引き寄せるのかと問うてみれば、答えは明らかな気がします。そこに、「引き寄せる私」がいないのなら、引き寄せの法則は成り立たない。

でも、そのあたりの整合性を、ロンダ・バーンはこの本の中でまったく説明していません。もちろん、誤った思い込み、信念を消し去れば、そこにあるのは意識だけだという趣旨の説明はしていて、非二元の説明としては全く正しいのですが、じゃあ、今までの本で、思考や信念の力で金や物、幸せを引き寄せましょうと言っていたことはどうなるのか、という疑問がわきます。

ロンダ・バーンの引き寄せの法則の基本は「信念、あるいは思考は現実化される」というものです。そしてロンダ・バーンはこの本の中で、否定的な思考を持てば、否定的な現実を引き寄せてしまうので、否定的な思考を持たないようにと言っています。

でも、そもそも、肯定的な思考だけを持つということが可能でしょうか? 肯定的な思考の裏には必ず否定的な思考が潜んでいます。肯定的な思考だけ持つことが可能なら、誰も悩んだりしません。思考で現実を引き寄せることが可能なら、誰も願望が実現して欲しいと思って「引き寄せ本」を読んだりしません。

ロンダ・バーンは、「否定的な思考、信念は、それを意識した瞬間に消える」と書いています。このあたりは非二元の教師と同じことを言っていて間違いではありません。でも、思考は現実化されるという前提が間違っている気がしてなりません。

変節漢の私としては、「引き寄せの法則」ある派の立場に立って、理屈を考えてみました。非二元の教えでは、私たちが見ている現実社会は夢、幻想であり、例えていうなら、意識というスクリーンの上に映し出された物語だという例えがよく使われます。ロンダ・バーンもスクリーンの例えを使っています。

もし私たちの見ている現実が、夢や物語であるなら、そこには「私」がいて、その「私」には自由意志があって、仕事を選んだり、結婚相手を選ぶ自由意志があると思っていてもいいと思います。夢や物語の中にはなんだってある。体だってあるし、「私」だっている。

本当は「私」は実在ではないけれど、夢や物語の中では「私」が存在するように見える。それゆえ、自由意志もあるように見える。なんかややこしい話になってきました。

夢だ物語だと言ってみても、実際には現実問題として、会社に行って働かなくてはいけないし、家族だって養っていかなければいけない。そうなると、意思を使って起きて会社へ行き、意思を使って働かなくてはいけない。

それが夢であろうと物語であろうと、そこには夢や物語のルールがあって、どうせ夢なんだからと働かなければ食っていけない。夢だからとむやみに人を傷つけたら刑務所に行かなくてはいけない。私たちはそういう世界に生きている。自由意志がなかったら、マクドナルドにもスタバにも行けない。カフェモカにホイップ増量も頼めない。(セイラーボブは、それは自由意志ではなく、起こってくることだと言うでしょうけど、ややこしくなるのでひとまず脇に置いておいて)

ニサルガダッタ・マハラジが言うように、夢を夢だと理解して、その夢の中で自由意志でも引き寄せの法則でも何でも使って生きていけばいいのではないでしょうか? と、ここまで、引き寄せの法則ある派の立場で考えてみました。でも、こんな理屈がなり立つなら、夢や物語の世界には、転生や輪廻や天国だってあることになってしまう。

「ザ・グレイテスト・シークレット」は、手っ取り早く非二元の教えを学ぶことができる(ロンダ・バーンは非二元という言葉は一切使っていないが)。そういう意味では画期的な本だといえる。でも、何か釈然としないものを感じる。非二元の教えを学ぼうとする場合、いろんな人の本をあれこれと読むよりも、一人の人の本をじっくり読んだ方がいいような気がします。人によって説き方が違うし、言っていることが細部で多少違う。あれこれ読んでもかえって混乱してしまうような気がします。

ちょっと思ったのは、ロンダ・バーンの引き寄せ本を読んで、今まで願望の実現に必死になっていた人が、いきなりこの本を読んで、「私」は実在ではないという教えをすんなり理解できるだろうかということ。じゃあ、今まで必死になっていた「私」は何なのかということになりはしないかということ。

amazonのサイトの書評を読む限り、この本を違和感なく受け入れている「引き寄せの法則ある派」の人も結構いるようですので、あんまりとやかく言わなくてもいいのかもしれません。引き寄せの法則はあってもなくても、それは夢の中なのだと気づいていれば、それでいいのかもしれません。

個人的には「引き寄せの法則」はないと思っています。でも、宝くじでも当ったら、「夢の中では引き寄せの法則はある」と言うに決まっています。私の場合。