2023.9.03ミーティング 46:13から
参加者:ボブ、ありがとうございます。あなたがおっしゃることには多くの気づきがあり、理性的なレベルではよくわかります。でも、それを体験的に習得することは私には困難です。私は聞きたいのです。私はインドの出身ですが、私たちは、言うならば異なる思想体系や内面の技術に接してきました。
長年かかって発展してきたヨーガ、タントラ、あるいはダルマなどの体系には価値がなく、そうしたことを試みることは的はずれだと、おっしゃるのですか? 私たちが理解、把握すべきことは、今この瞬間、ここだけであり、どんな努力も無駄だとおっしゃるのですか?
ボブ:あなたが調査をして、努力をする人がフィクションであるということがわかったなら、誰が努力をするというのですか? でも、一方では、あなたがそれをやると信じています。あなたが、あなただと信じているものが、くるりと向きを変えて調べるのですが、そもそも、生の本質(life essence)があなたを通して働かなければ、その行為もまったく起こりません。
生(life)があなたの行くべきところへ運んでいくのです。それが常に働いています。経典の中では、私たちの問題は無知であると言っています。それは私たちが鈍いとか愚かだと言っているのではなく、目の前にあることに背を向けていると言っているのです。あなたはそれであり、それがすべてだと言っているのです。でも、私たちはそれを信じることなく、その前にあれをやらなくては、これをしなくてはと言うのです。調べて、見てください。
ギルバート:あなたは、あらゆるやり方で、あらゆることを分割することができます。でも、段階的な道、例えばヨガ、宗教、キリスト教、善良なら天国へ行けるといったことはどれもみな、未来のことです。そこには、何かをしなくてはいけない誰かがいます。そして、このメッセージは、段階的な道を信じている人にはまったく人気がありません。
なぜなら、人々はエネルギー、時間やお金を段階的な道に費やしているからです。そうした人々は、「私はスピリチュアルな道の上を歩いている」と言います。でも、彼らはあなたに、その道の上にある小石一つさえ見せることはできません。なぜなら、それは比喩的な道だからです。
スピリチュアルな道などというのもは存在しません。それは単なる言葉です。そして、人生をスピリチュアルな道に捧げるというのは罠なのです。なぜなら、あなたが将来なろうとして費やしている人というのは、費やす必要のないものだからです。
「あなたはもともとそれなのだ、というところから始めなさい」とボブは言います。そして、あなたをそのことからそらしてしまうものを見てください。私たちを、それから引き離してしまうのは思考なのです。思考の流れが過去や未来へと導くのです。それは、この瞬間の直接性の中に存在することはできません。
なぜなら、実際には持続する時間はないからです。それは単なる微妙なバイブレーションです。でも、私たちはそうした思考に巻き込まれます。一つ例をあげると、誰かが、「私は良くない。私は何も達成していない」と言います。これはマントラです。仏陀は、「私たちは思考によって世界を創造する」と言いました。
誰かが、「私は良くない。私は何も達成していない」と言う時、それがマントラとなって、人生の体験を形成します。そしてその体験が、人をこのマントラの罠にはめるのです。マントラは、あなたのマインドが絶えずあちこちへとさまよっている時にはとても有効なものです。もしあなたに、グルや誰かから授かったマントラがあると、とても有益なものとなります。
なぜなら、あなたがマントラを唱えている間は、思考の流れが引き起こす通常のナンセンスに関わらずに済むからです。マントラを唱えている間は、成就の可能性が高いように見えるのです。アウエアネスはいつでも束縛はされていないのですが、本当の私を認識するということが、マントラを唱えている間は、よりたやすく思えるのです。
でも、思考の流れに囚われて、絶えず未来に何かを達成しようと努力していると、たとえば、瞑想やヨガ、教会へ行って祈るとか、そうしたことをすることで、「私」という未来の存在に関わることになるのです。ですから、ボブが言うように、この『私』が見つかるか調べてください。
彼がよく語るように、愚か者がやってきて、「ボブは『私』はいない言っている。彼は正しいのか間違っているのか?」と言うのです。あなたは自分で調べなくてはいけません。誰もあなたの代わりにはやってくれません。そしてそれは、実はとてもシンプルなことです。内側へと向きを変えて、見てください。この「私」を見つけることができるのか? あなたがそれを見つけることはありません。なぜなら、それはフィクションだからです。
そのフィクションの奴隷でいることは、まったく不要なことです。あらゆる心理的な苦悩がそこからやってきます。あらゆる可哀そうな「私」は、この分離した存在からやってきます。でも、分離は存在しません。ボブは、最初の本やその他の本の中で明確に指摘しています。「子供は、この『私』という言葉を学び、ある時点で外側の世界に目を向けると、そこには、『私』ではないものがある。それから傷つきやすさが生まれます」。なぜなら、あらゆるものが「私」ではないからです。
もしあなたが傷つきやすければ、この「私」という考えの周りに何らかの砦を築こうとします。でもそれは苦悩となるだけです。それは実在ではありません。でも、このことは人気がありません。ニューヨークタイムズも7時のニュースも取り上げません。ニュースの対象にはなりませんが、このメッセージはとてつもなく驚くべきものです。そしてそれはとてもシンプルです。私の言うべきことは以上です。