2023/09/22

それは言葉によるものです

2023.9.17ミーティング 0:37から

ボブ:みなさん、おはようございます。みなさんに会えてうれしいです。生(life)、そしてエネルギーがこの部屋の中に現れているのがわかります。私たちみんな、それぞれが、それをこの部屋にもたらしています。そしてそれが、私たちの話している非二元についてです。世界で最もシンプルなことです。非二元、二つではない。

それは、いにしえのすべての聖典で語られています。異なる言葉で語られ、うわべ上では分割しているように思えますが、それでもそれは非二元について語っているのです。一つのもの。もしそれが指し示していることが本当なら、どこへ行って、何をする必要があるでしょうか? もし、一つのものしかないのなら、探求をする必要があるでしょうか?

それが、それ以外のものとなることができるでしょうか? それから何かを取り去ることができるでしょうか? それは、私たちの目の前にあるのに、認識されておらず、無視されています。というのも、私たちは言葉を学んだからです。言葉によって、その他の観念、思考を手に入れ、分割できないとはっきり言われているものを、うわべ上で分割したからです。

それは、互いに依存しあっています。あらゆるものが、何か他のものと依存しあっています。そうしなければ、存在しえなかったし、これからも存在しえません。でも、言葉を使うために、分割できないものを、うわべ上では分割しています。

一つは、究極のものです。二つはそれ以外のものであり、それが一以外のものとなって現れ、問題となります。もし今そのことを考えなかったら、何が問題ですか? 物事は起こり続けています。それは死んだものや終わったもの、静止したものではりません。機能は働き続けています。一つのものを分割することができるでしょうか? 

一つのものが存在しなかったら、他のものは存在するでしょうか? 私たちは、エンライトメントしようとか、何かを成就しようと考えます。でも、もしあなたが、もうすでにそれだったとしたら、何になろうとして、何を成就しようというのですか? それゆえ、今それに気づいていようがいまいが、あなたはそれであるという事実から始めなさいと言われているのです。

どんな方法であろうと、そのことを認識していれば、それが存在するすべてあるということが絶対的に確かなことです。そしてそれがパターンとなり、無数の異なる姿形となって現れています。でも、それを分解してみると、すべては生(life)、エネルギーなのです。私たちはそれに異なるラベルを貼り付けます。神、偉大な存在、劣った存在、あれやこれや。そうした言葉によって、それを分割します。

みなさんの中に、自分は分離して存在していると思っている人はいますか? 調べてみてください。それは不可能だとわかるでしょう。そこには何か別の異なるものがあるように思えるですが、それはすべて一つのものです。そこには、異なる別のものはありません。そして、それは真実です。それは、何の中にありますか? 調べてみてください。この部屋の中の「私」や人々は今、この部屋の中にいますか?

その部屋は、何の中にありますか? それは空間(space)の中にあります。では、空間とは何ですか? 空間には中心がありますか? 境界は? ここから始まったという場所や、終わりはありますか? それとも、それはただあるがままですか? いわゆるこの体はパターン、姿形となって現れています。それは一見強固なものに見えますが、それを顕微鏡で見てみると、そこにはたくさんの隙間、空間があるということがわかります。

空間は、無/何ものでもないもの(no thing)です。中心や境界を見つけることはできません。私たちは、あちこちで空間を見ますが、その中心を見つけることができますか? 一羽の鳥が空を飛んで、空間の終りまで飛ぶぞと言うようなものです。それはどこにたどり着くことができるでしょうか? どこが終わりでしょうか? 始まりは? 無/何ものでもないものは認識する空と呼ばれています。空間は空です。

空。無/何ものでもないもの(no thing)。無/何ものでもないものから、何かがやってくることができるでしょうか? もし、私たちみなが、空間の内容物であるなら、空間の外へどうやって出ることができるでしょうか? できません。それは確かなことであり、いつもそうでした。でも、思考、感情、感覚によって観念化が始まります。それを見失って、あらゆる種類の観念、イメージが起こります。それは言葉によるものです。