2023.6.4ミーティング 36:17から
参加者:ボブ、カット。目覚め、個人の目覚め、つまり、自分自身になるために、マインドとトラウマが、どんな役割を果たすのか、少し話していただけますか?
カット:(ボブに向かって)何か話したいですか?
ボブ:いいえ。
カット:それは落とし穴のある質問ですね。なぜなら、まず第一に、個人が目覚めることはもちろんないからです。ええ、これは言葉のあやであるということはわかっています。ええ、条件付け、トラウマは、あなたも知っているように、存在します。例えば、動物にもトラウマがあります。でも、動物はそれを阻止したり増大させたりすることはありません。というのも、動物はいつも自然な状態にいるからです。
もし動物、例えばオオカミが罠にかかったら、あるいは、犬が虐待されたり、猫がいじめられたりしたら、彼らの脳は生存のための反応を身につけます。もちろん、それは結局は役に立たないものとなります。人間のトラウマを考えると、例えば退役軍人や虐待の犠牲者は、その瞬間を生きのびるために何らかの戦略を身につけますが、そうした戦略は、もはや役に立たなくなっても持ち運ばれます。そしてそれがさらなる苦悩を生み出すのです。
人間と同じように、動物にもトラウマがあるのは事実です。人間の特定の行為に対して、特定の反応をするように条件づけられます。そしてその反応がしばらくは続くのですが、時がたつと、抵抗や悪い感覚は消えていきます。そして、トラウマがあってもなくても、そこには自然な状態があります。
人間の場合は、トラウマを何度も生きることになります。私たちには物語という別のソフトウェアがあります。時には、トラウマをもう一度生きることは、トラウマの解消になることがありますが、トラウマを強めてしまうこともあります。一つのやり方がすべてに当てはまるとは言えません。
ボブは、そうした場合はいつも、本当のあなたである静寂の状態に戻って、何が自然に起こるか見守ってくださいと言います。というのも、顕現として現れるすべてのものには適所があるからです。セラピー、指圧、瞑想、何でも自然に起こってきます。物語だけが特定の物語を強化し続け、トラウマを持続させ、トラウマが「私」の目覚めを妨げているという物語さえ生みます。あらゆることが「私」が目覚めることを妨げているとなります。
もちろん、「私」が目覚めることは決してありません。どんな物語もそこにあります。それは実際には落とし穴のある質問ではありません。それはどんな場合も個人によって異なるという問題です。そしてそれは、トラウマをどう定義するかによります。もしあなたがボブに、彼の人生の前半30年について尋ねたら、どれほど多くのトラウマが起こったかを言うことはできないほどです。ケンカをしてほとんど全部の歯をなくした屈辱や、クビになったこと、虐待されたことなど、たくさんのことがありました。
トラウマ的な反応を一度も経験しなかった人が世界にいるのかは知りません。脳が発達して空間を観念化する途中で、母親や世話をしてくれる人を無くした人さえいます。それが(頭を指さして)、コンピューター、機械によってトラウマと翻訳されて反応を起こします。誰しも、ある程度はそうした反応を経験していて、それにトラウマというラベルを貼って非難して、その犠牲者となるのです。
そのかわりに、ボブが言うように、トラウマをあるがままに見つめ、もしそのことを考えなかったら、そこにトラウマはあるのか?と言うこともできます。もしそれにトラウマというラベルを貼らなかったら、もしそれに、汚れた重苦しいラベルを貼らなかったら、そこにトラウマはあるのでしょうか? それは単なる条件付けされた反応です。それがそのようになされても、自然はすべてを、無判断の清浄な空間のような意識によって、変えることなく、変更することなく、正すことなく解消します。それが解消のプロセスです。もちろん、それでも生き残るための手立ては必要です。あなた自身にはトラウマになるような経験や、トラウマについて熟考したことがありますか?
参加者:いいえ。今日ここへ車で来る途中、家族の集まりのことについて話していました。それはある意味、家系に引き継がれたトラウマのようなものです。それは行動の中の、何かパターン化されたようなもので、ある種の行動、条件づけされた振る舞いのようなものです。それは、誰か他の人からのものではなく、そのトラウマに直接悩まされるということではなく、遺伝的にあるもののことです。そのことについてずっと考えてきました。
もちろん、今この瞬間、空間の広がりの中には、何一つ固着したものはありません。でも、それでもやはり、収縮となるような行動はあります。そのために、それを理解したいと思ったのです。それで、あなたの考えに興味があったのです。
ボブ:思考、フィーリング、感情はどれも機能です。思考が最初にやってきて、フィーリングが感情をもたらします。そして私たちは、恐れ、怒り、不安と、どんなラベルも貼り付けます。ラベルとして貼り付けた言葉によって、実際よりも悪くしてしまうのです。それは単なる感情、ラベルにすぎないと理解することです。私たちは、それが絶えず変化しているということ見ようとせず、それにかまわずそのままにするかわりに、それに執着して、そこに留まるのです。それを続けて、最後には強化してしまうのです。