2019/11/16

マインドでどこまでの理解が可能でしょうか?

セイラーボブは、「マインドを使って、自分がマインドでも体でもないということを調べてみてください」と言う一方で、「答えはマインドの中にはありません」と言う時もあります。

何がマインドで理解できて、何がマインドでは理解できないのでしょうか?

「自分はマインドでも体でもない」ということはマインドで理解が可能だと思います。セイラーボブも、自分で調べてみなさいと言うぐらいですから、それはマインドで理解することができます。
私も、自分で調べることによって、私が私だと思っている「私」は記憶の集積にすぎないということを理解しました。体も勝手に自分のものだと思い込んでいるだけで、それは自然の一部だということを理解しました。

「万物は一つのものである」ということはどうでしょうか?
これもマインドで理解が可能だと思います。
亜粒子の話、マインドが勝手に作り上げた主体と客体が分離を生んでいるにすぎないということを理解すれば、すべては一つのものだということが理解できます。

では、「すべての物はアウエアネス、知性エネルギーがヴァイブレーションとなって、姿形となって現れている」ということはどうでしょうか?
また、「アウエアネス、知性エネルギー、認識する空の存在」はどうでしょうか?

ここから先はマインドでは理解できないと思います。
セイラーボブは、アウエアネスをマインドで理解することはできないと言っています。
アウエアネス、知性エネルギー、認識する空は、マインドの外にあるからです。鏡に映る像は見ることができても、鏡そのものを見ることはできません。

じゃあ、どうやってセイラーボブの言っていることが本当だと理解すればいいのか?
ジレンマが生まれます。
多くの人が、ここで迷ってしまいます。

アウエアネス、知性エネルギー、認識する空を理解することはできません。
でも、感じることはできると思います。

「アウエアネスとは何ですか?」とセイラーボブに質問すると、
"Are you not aware?"(気づいていないのか?)と始まって、「今、外を走るトラムの音が聞こえなかったのか?」と聞いてきます。

セイラーボブの家は、トラムの2系統の路線の交差点にあるので、家の前をしょっちゅうトラムが走っています。
必ず、良いタイミングでトラムがチリンチリンと鳴らして走っていきます。

五感、つまり意識はアウエアネスの現われだと言うのです。
もっとわかりやすく言うと、意識がアウエアネスです。

見ること、聞くこと、触れること、嗅ぐこと、味わうこと、これらはアウエアネスの現われだと言います。
五感を通じて、アウエアネスを感じることができます。

私たちは、意識が何であるかを知りません。
学者たちも、それがいつからあるのか、何なのかを必死で調べていますが、解明できていません。
それを理解することはできなくても、そこに在って、感じることはできます。
それで十分ではないでしょうか?
マインドはすべてを理解できないと気が済みません。

でも、理解する必要なんかないのではないでしょうか?
私が一番アウエアネスを感じるのは、見ることです。
セイラーボブの言葉で言うなら、「見る働き」です。

それは、何か美しい景色を見た時とか、何か特別なものを見た時ではなく、一人で部屋の中にいて、何気なく部屋の中を見渡したりする時に感じることがあります。
すべての物が鮮明に見えて、そこにアウエアネスが広がっているのを感じる時があります。

私が何の概念も与えず、ただただ景色が広がっているだけの時があります。
何の説明も解釈も要りません。それで十分ではないでしょうか。

セイラーボブの教えをとことん理詰めで理解しようとしても不可能です。
一休みして、コーヒーでも飲みながら、目の前に広がるものを眺めたり、耳を澄ましてみたりしてみたらどうでしょうか?

メルボルン クラシックトラム