私がこう書くと、多くの人が「どうやって?」と思うことでしょう。
私はその「どうやって」を何度も何度も詳しくこのブログで書いたつもりです。
「どうやって?」という問いの裏側には、(簡単に)や、(手っ取り早く)という含みがあります。
でも、「私」が実在ではないと調べる方法に、簡単な方法や、手っ取り早くやる方法はありません。
時間をかけて、「私」は本当に実在なのかと自分に問いかけるしかないのです。
でも、多くの人が、この作業をやりません。
ほんの一、二回、もしくは一日か二日考えて、「わからない」とやめてしまいます。
そして、別の非二元の人の本をあさったり、セミナーやリトートに参加したりしようとします。でも、そこにも答えはありません。
あっちのメソード、こっちのコースと探しても、そこにも答えはありません。
「ただそれだけ」やこのブログを何度も読むことは、ある程度は役に立つかもしれませんが、そこにも答えはありません。
それなら、セイラーボブに会いに行ったらどうかと考えるかもしれませんが、会うだけでは答えは見つかりません。
何が必要なのかというと、自分で調べることです。「私」は実在なのだろうかと、自らに問いかけて、あきらめないで、何日も何日も問いかけることです。
なぜなら、答えは自分で見つけるしかないからです。
ニサルガダッタ・マハラジは答えを見つけるのに3年かかりました。セイラーボブはマハラジのもとへ断続的に1年通いました。
私の場合はセイラーボブの教えを完全に理解して、もう何の疑念も揺り戻しも起きなくなるまでに4年かかりました。
自分で調べることをしないで、どこかに答えがあるはずだと、あちこち探しても、答えは見つかりません。
必要なことは、あきらめないで自分で調べることだけです。
もしどうしても「どうやって?」という問いが湧いてくる人は、もう一度このブログを読み返してみてください。マインドなどというものがありますか?
調べても調べてもわからないから、もう「私」は実在ではないと信じよう、というのでは、何の解決にもなりません。信じることと理解することでは大きな違いがあります。
信じているうちは、疑念が繰り返しやってきてあなたを不安にさせます。
信じるくらいなら、わからないままにしておく方が正直です。
信じるくらいなら、セイラーボブの言う事はナンセンスだと背を向けて去るほうがましです。
自分で調べて理解することだけが必要なだけです。
セイラーボブの教えは、覚醒やエンライトメントではありません。
セイラーボブの教えは、何かになることや、何かを経験することではありません。
私が実在なのかどうかを理解することだけが必要なだけです。
理解するために必要なツールを私たちは持っています。
それはマインドであり、意識です。
それを使って、調べてみてください。
私は、エンライトメントや覚醒などないということを理解しました。
セイラーボブがそう言ったからではありません。
自分で納得いくまで考え、調べた結果、そんなものはないと理解、確信したからです。
私は、「私」は実在ではないということを理解しました。
セイラーボブがそう言うからではありません。
自分で納得いくまで考え、調べた結果、「私」は実在ではないと理解、確信したからです。
そして、それが揺らぐことはもうありません。
私たちが、「私」という条件付けを身につけるのに、何年もかかっています。
生まれてから物心がつくまで、何年もかけて身につけたものです。
それは、私たちのまわりの人すべてによってなされたものです。
その条件付けを見破るのは簡単ではないかもしれません。
でも、自分で調べて、自分で見破るしかないのです。
誰もあなたのかわりにやってはくれません。
いくら瞑想しても、それは起きません。
いくらセミナーに参加しても、それは起きません。
いくら非二元の本を読んでも、それは起きません。
自分で調べるしかないのです。
「どうやって?」と問う瞬間に、あなたは自分で調べることを放棄していることに気づいてください。
メルボルン 朝のエリザベス通り