2023/12/29

ハートが理解するには簡単なものです

この見方は途方もなく難しいだけではなくて、心(マインド)には把握することのかなわないものです。ですが、この見方はハートが理解するには簡単なものです。とても簡単で、ほぼ即座に把握することができます。
                    フランシス・ルシール (今、永遠であること

              多治見市永保寺                 

2023/12/26

「今、永遠であること」フランシス・ルシール

今、永遠であること

とても良い本です。フランシス・ルシールは、ルパート・スパイラの師だということで、興味をもって読みました。ブログに引用させてもらうところに付箋を貼って読みましたが、この本も付箋だらけになってしまって、どこを引用しようか迷ってしまいます。この本は全編が質疑応答の形式をとっていて、最初に質問があって、それにフランシス・ルシールが答えます。

それぞれの質問に対する答えが長いのと、答えが格調高い語り口なので、その前後を読まないと理解できない部分が多い。前後まで引用すると、とても長くなってしまって、どうしたものかと。あんまりたくさん引用すると𠮟られますが、本の宣伝だということで許していただいて、何か所か引用させていただきます。

p88
 子育てをしながら、家計を支えながら、個人的な不幸せを抱えながら、真実を追求したいと思うのであれば、どのようにすればよいのでしょうか?

 知性を通してできます。理解するために、物質的に自分の生活を変える必要はありません。今すでにあるもの、自分が何者なのか、自分の知覚、感じ、考えとは何なのか詳細に問いかけることから始めます。わたしたちの現実(リアリティ)をこのように探っていくことは単に概念的なものではなく、人生のすべての面に及ぶものです。

 非常に忙しい生活のさなか、このように追及していくことは可能なのでしょうか?

 もちろん可能です。それにこの方法だけが、あなたの幸せはあなたにあり、あなたの宝物であり、外側の状況には何も関係がないことを明確にしてくれるのです。もしあなたの幸せが外側の要素、例えば調和に満ちた状況といったものに依存するものなら、郵便局にいるときや、騒々しいところにいるときにその美しい体験はなくなってしまいます。ですから、こういった体験は真にあなた自身の幸せではなく、単に幸せな状態ということです。

 幸せそのものは外側の何にも依存しないとわかっているのですが……。

 その理解を得るには大変な成熟さが必要になります。ほとんどの人は、幸せは何かしらの客体にあると思っているのですから。

p93
 この世界は幻想であるとおっしゃいますが。これはどのように見つけられたのですか?

 この質問の裏にある質問は、こうですね。「この世界は幻想であるとおっしゃいますが。これはどのように見つけられますか?」

 そのとおりです!

 この世界は幻想だと言うとき、この世界はないという意味ではありません。わたしはただ、この世界は気づきから切り離されたり隔てられている客体としてはない、と言っているのです。言い換えると、古典物理学がわたしたちに信じさせようとしているように世界は自律的ではありません。これは知覚として認識されれば否定されることはありませんが、認識されなければ、あると証明できません。

 ですが、幻想はそのまま、幻想と呼ばれるもののまま、見かけ上はあるということは認めてらっしゃいますか?

 認めています。幻想はふたつの要素からなっています。根本的な現実(リアリティ)と、重ね合わされて幻想の概念です。暗がりにロープがあるとして、それを間違って蛇と思ったりします。ですが、明かりをつけると、蛇というものの現実(リアリティ)はただのロープだということがわかります。蛇など初めからいなかったのです。蛇はまったくの幻想でした。幻想とは、非実在です。蛇はいませんでした。蛇の現実(リアリティ)はロープだったのです。

p121
 自分は分離した人物であるという自己認識から、真実に気づいている状態に意識を移行するには、どうすればよいのでしょうか?

 「人物らしさ」が偽物だと知るのに人物ができることは何もありません。個人は個人としての自己認識にしつこく固執しますが、この自己認識から自由になる瞬間があります。自己認識から距離をとり、自分であるこの現存(プレゼンス)を垣間見る、つまり気づきを得るチャンスは、この瞬間にあります。
 わたしたちにとって、一番大切なものとは何でしょうか? わたしたちの体の一部ではありません。命を救うためであれば体の切断手術がされていることからも、これは明らかです。一番大切なものとは、体全体でさえありません。わたしたちが真に愛しているのは、意識です。真に問われているのは、意識は体の中にあるのか、体が意識の中にあるのか、ということです。自分の置かれている環境や、先生たち、広く信じられている物質主義から、わたしたちの体は世界にあり、わたしたちの頭脳は体の中にあって、この頭脳の一機能が意識であると条件付けられています。非二元の視点では、この図はまったくの正反対です。本源的な現実(リアリティ)は気づきであって、この内に心(マインド)があります。この体、この考え、残りの宇宙はすべて、心(マインド)の内にあります。それでは、このふたつの立場のうちどちらが真実だと、どうやって決めるのでしょうか? わたしたちの論理的な装置である心(マインド)では、この問いに対する答えを出すことはできないと理解することが大切です。これらの立場からひとつを選ぶとすると、これは信念であり、信仰による行為になってしまいます。これが明確にわかっていれば、わたしは世界の中にいて、わたしはわたしの体である、という概念からすでに自由になっています。この世界での実在とは信仰による行為であり、絶対的は真実ではない、ということを理解しているのです。そして、もう一方の可能性にオープンになります。心(マインド)は心自身の内にあるものしか知らないので、心(マインド)では決められません。心(マインド)を超えたものを、心が知ることはできないのです。心(マインド)にできるのは、きめられないということを理解することだけです。心(マインド)が、自分では本源的な答えを見つけられないということを理解すると、静かになります。私たちの本質が自分を掴む可能性は、この静寂のうちにあります。自分では掴むことができません。ただオープンになり、迎え入れることしかできないのです。

p178答えの途中から
 より多くの知識や能力を積み重ねることで、この探求を終わらせることは決してできません。この探求は学習するものではなく、もしろ積み重ねた概念、信念、習慣といった捨て去るものなのです。そういったものがこのシンプルさ、自発性、自分の本質であるよろこびを体験することを妨げています。
 あなたは知覚される客体ではなく、概念でもなく、感情でも、感覚認識でもないというわたしの助言を調べることで、本当に自分であるものを理解する道が拓けます。これを調べるのであれば、知的な次元、体感覚の次元の両面で、徹底的に追及されなければなりません。これを調べた結果、得られる理解は、「わたしは誰なのか?」という問いに対する答えですが、これは心(マインド)を超えたところ、時空間の先にある、あなた本来の美と永遠性にまであなたを運んでいく体験となります。この体験で、あなたは自分が探し求めていたものだったと知ることになります。これが問いの終りであり、すべての問い、すべての探求、すべての恐れや願望の終りになります。

フランシス・ルシールは何も特別なことは言ってはいません。自分で調べてみなさいと言っているのです。そして、その到達点は「確信」という言葉を使っています。私は以前、このブログにおたよりをいただき、「理解するとはどういうことなのか?」という質問をもらいました。その時、「確信」という言葉を使ったのを覚えています。非二元の教師たちが語っている内容を客観的に証明できるような方法はありません。詰まるところは本人が揺るぎない「確信」の地点に到達できるかどうかだと思います。そして、その確信を得るためには自分で調べるしかないとフランシス・ルシールも教えています。

ルパート・スパイラの「プレゼンス」の時も思ったのですが、この本は非二元の教えを理解していないと読みこなせないような気がします。すばらしい本でした。

フランシス・ルシール Francis Lucille

Amazonの著者紹介より
フランス国立理工科高等教育機関、フランス国立航空宇宙学科高等教育機関で
化学を学んだ後、1973年、ヴェーダ哲学や仏教の文献から東洋の叡智を見つける。
これをきっかけとして自己同一性を深く探求し、1975年、スピリチュアルの指導
者であるジャン・クラインに出会ってまもなく、その探求が終わる。
現在、米国在住。ヨーロッパと米国でリトリートを行っている。

補足
1944年生まれ 79歳 フランス生まれ
J.クリシュナムルティの本を読んだことにより探求が始まる。もともとはフランス軍のために洗練された武器の設計・開発する科学者だったが、辞めて、探求の道へと入った。

日本語でネット上で検索しても、フランシス・ルシールに関する情報はほとんどありませんでした。


2023/12/24

セイラーボブの近況(2023.12.24)


2023.12.24ミーティング
冒頭でカットが、ボブがコロナ陽性だと伝えています。無観客で、スピールは短めでしたが、画面で見るかぎりは大丈夫そうです。
以前ボブが、「コロナは気にしない」と言っていたのを思い出します。ミーティング参加者もほとんどマスクなしなので、日本と随分温度差があるなと思っていました。それにしても、なんでこの人たちはマスクしないんでしょうか?

2023.12.31追記
ボブはコロナ陰性になったということで、いつも通りにミーティングを再開しました。

2023/12/22

思考だけが見かけ上の多様性を作りだすのです

スクリーン上の映像がつなぎ目のないひとつの全体であるように、この現存しているように見える「ひとつのもの」も、つなぎ目のないひとつの全体です。思考だけが、映像の各部分の周りに架空の線を引き、対象物の見かけ上の多様性を作りだすのです。
             ルパート・スパイラ (プレゼンス―第2巻 あらゆる体験の親密さ

12月9日 名古屋マリオット

2023/12/19

幸せとは

幸せとは、常にものごとのありのままを受け入れるというだけのことなのだ。
                ルパート・スパイラ(ザ・グレイテスト・シークレット

                       12月9日 ナナちゃん

2023/12/15

「生まれながらの自由」ジャック・オキーフ

「生まれながらの自由」ジャック・オキーフ

このブログの方針として、まったく支持できない人のことは書かない方針です。ただ、はっきりと評価できない人のことはどうしようかと考えたあげく、一応書くことにしました。
この本は、わかりやすいし、非常に良い本だと思って最後まで読みました。でも、終わりの方にきて、過去生や輪廻転生を肯定するような文章が出てきたので、どう評価していいのか判断できずにいます。

私の理解では、過去生も輪廻転生もないと理解しています。だって、「私」がいないのに、誰が転生するのですか? 私が気になった文章を引用させていただきます。

p153 7行目途中から

肉体的な死のあと、思考との同一化が残っていれば、本当のこととして信じられていた信条は、また別の状態を存在として発生させ、体験を継続させます。ゆえに、あなたが何を信じているかによって、意識・無意識にかかわらず、他の次元(死後の世界)や、輪廻転生の中で体験は続きます。

彼女のホームページを見たらわかるかもしれないと思って見てみたのですが、そこに過去生について学ぶコースはあるものの、197ドルのビデオコースになっていて、無料では見ることができません。無料の記事もたくさんあるのですが、量が多すぎて確認できません。YouTubeも量が多いので、タイトルだけ確認しましたが、それらしきものは見当たらず。

ただし、それ以外の内容はとても良いと思ったので、簡単にまとめておきます。
この本では、セイラーボブやルパート・スパイラが awareness (意識、あるいは気づき)と呼んでいるものを、真我(Self)と呼んでいます。

私たちは、この真我を実際の体験として知ることはできないし、それを手に入れることはできないと言います。というのは、私たちはもともとそれだからです。その真我の中に「私」や「世界」が現れます。その実体は思考です。その「私」や「世界」を消すためには、観照者として、「私」や「世界」や世界を観照することだといいます。

観照者とは何かというと、「私は在る」です。「私は在る」もマインドです。それがマインドではあっても、人や出来事、ストーリーと同一化しないのだと言います。このあたりの説明はセイラーボブとよく似ていて、セイラーボブは「『私は在る』とは、マインドで到達できる最高地点」「自らが存在するという感覚」という表現を使います。

セイラーボブもルパート・スパイラもジャック・オキーフも同じ説明をしていますが、私たちが夢さえ見ない深い眠りの状態にあるときは、真我、あるいはアウエアネス(意識、あるいは気づき)そのものの状態にいて、思考がない状態にあると言います。そしてジャックは、その深い眠りから覚めた一瞬に、真我の余韻が残っていて、「私」がやって来る前のほんの一瞬の状態が「私が在る」状態なのだと言っています。

その状態(私は在る)に留まって、観照者として、「私」や「世界」、つまり思考を観照することによって、「私」や「世界」が消えていくと言います。では、どうやったら、常に観賞者であることができるのか。この辺がよく読み取れなかったのですが、私たちはもともと観照者なのだから、観照者になろうとせずに、観照者として思考を見つめなさいと言っているようです。

本の内容は良いと思います。なお、ジャック・オキーフは南アイルランド生まれと本に記載がありますが、それ以上のことはネットで調べてもわかりませんでした。




2023/12/12

それは本当でしょうか?

それは本当でしょうか?
その考えが本当であると、絶対言い切れますか?
そう考えるとき、あなたはどのように反応しますか? 何が起きますか?
その考えがなければ、あなたはどうなりますか?
                                   バイロン・ケイティ

11月27日 虎渓山 永保寺

2023/12/08

外界のものは、何ひとつ私たちを妨げません

外界のものは、何ひとつ私たちを妨げません。私たちが苦しむのは、ありのままのものごとを変えたいと願ったときだけなのです。
               バイロン・ケイティ(ザ・グレイテスト・シークレット
                
              11月27日 虎渓山 永保寺

2023/12/05

「人生を変える四つの質問」バイロン・ケイティ

人生を変える4つの質問 バイロン・ケイティ

この本は絶版です。翻訳者が変わり、新版として、
があります。私が読んだのは旧版です。

バイロン・ケイティについては、セイラーボブのミーティングで参加者の何人かが話したことがあります。また、ザ・グレイテスト・シークレットの賢人としても取り上げられていて、引用された言葉に感じるものがあったため、本を読んでみました。念のために書いておきますが、バイロン・ ケイティは非二元の教師という範疇には入らないし、非二元そのものを教えているわけではありません。でも、教えていることは、非二元の根幹となる教えに通ずるところがあります。

本の内容は、バイロン・ケイティが、「ワーク」と呼ぶ方法で悩みを抱える人を癒しへと導く実際のやり取りを記録したものです。悩みの内容は様々で、対人関係、家族との関係、レイプ、虐待、戦争の記憶、愛する人の喪失など、多岐にわたります。

ワークがどんな方法なのか、バイロン・ケイティとはどんな人なのかは、日本語のホームページがあるので、そちらを読んでもらった方が正確かと思います。


ワークの具体的なやり方は、このホームページにあります。それを読めば、一人でワークができます。やり方は簡単で、ホームページにあるワークシートに自分の思いを書き込み、一つ一つの書き込みに四つの質問を自問します。そして、質問を入れ替えて、それが本当に事実なのかを確かめていきます。

ホームページの上段に、「その考えがなければ、あなたはどうなりますか?」という言葉あるとおり、自分の悩み、恐れ、苦しみは、自分が生み出しているものだということを気づかせるための方法がワークです。

非二元の教師たちは、「私」を根こそぎ消すことによって悩みや苦しみを解決しようとしますが、バイロン・ケイティは逆に、個々の悩みや苦しみを詳しく調べることによって、それは単なる思考(思い込み)にすぎないということを理解させます。

「私」がなかなか消えない人、「私」はいないと理解しても、個別の問題をどうしていいのかわからない人にとっては、バイロン・ケイティのやり方は有効だと思います。

私もワークをやってみようと思ったのですが、今現在、何か大きな悩みや問題を抱えているということはありません。セイラーボブを学んだことで解消された部分は大きいのですが、今現在、悩ましい対人関係はなく、わずらわしい仕事についていないというせいもあると思います。

それでも、せっかく本を読んだのだから、何か試してみたいと思って、いくつかリストアップしました。嫌な思いをしたまま放置している対人関係、体のこと、傷つけた人のこと、恥ずかしい思い出、後悔していること、最近冷たいのではないかと思う人のこと。ホームページから「ジャッジメント・ワークシート」をプリントアウトして、いちいちの問題を書き込み、やってみました。

やってみてわかったのですが、「ジャッジメント・ワークシート」を書いた段階で、いくつかの問題はクリアになり、それだけで十分なものもありました。そして、四つの質問をしていくうちに、問題の根本は私の思考にすぎないということに気づかされます。何かをする必要も、誰かを責める必要もないということがわかってきます。

私の場合、書き出した問題が、どれもそれほどシリアスな問題ではないせいもあって、それほど難しくはありませんでした。大きな問題を抱えて、それこそ狂いそうな毎日を生き延びていた昔に「ワーク」を知っていたら助けになったかもしれないと思います。

この本には、そんなことをやれとは書いてないのですが、誰か他の人から悩み事の相談を受けた時に、この方法に沿って相談に乗ってあげるのはとても良い方法だと思います。私の身近に介護をしている人がいて、時々介護の悩み事の相談を受けることがあります。

先日、電話がかかってきて相談を受けたので、ワークシートに書いてあるようなことを聞いたあとで、四つの質問や入れ替えをやってみました。細かくやったわけではなく、アレンジして、短くやりました。そうしたら、最後に、「よくわかった。そのままにしておく」と言われました。

人間は自分のことだと客観的に物事を見ることが難しいけど、人のことだと簡単になります。誰かから悩み事の相談を受けたら、この方法が役に立つのではないかと思います。悩んでいる人がいると、非二元の教えを説きたくなるのですが、「私」はいないなんて話をしても嫌われるだけで何の役にもたちません。でも、この方法なら、十分に相手の役に立つと思います。そして、これは根本的には非二元の教えと同じことを教えています。

ホームページに参考になる動画がありますが、YouTubeにも参考になる動画があります。



これはなかなか良かったです。

ワークの実際の様子は、バイロン・ケイティのワーク 思考という刑務所 パート1から5までを見るとわかりやすいです。

バイロン・ケイティ(英語版Wikipediaなどを参考に補足)
Byron Kathleen Reid 1942年12月6日アメリカ生まれ 80歳。 「バイロン・ケイティのワーク」または単に「ワーク」として知られる自己探求法を教えるアメリカの講演者、作家。バイロン・ケイティ・インターナショナルの創設者。タイム誌は彼女を「21世紀のスピリチュアル・イノベーター」と評している。
1986年、43歳で3人の子供をもうけ、2番目の夫と不幸な結婚生活を送っていた彼女は、うつ病、広場恐怖症、過食に苦しみ、コデイン(薬)とアルコールで自己治療をしていたと言われている。保険会社に助けを求め、ロサンゼルスの女性カウンセリングセンター、ホープ・ハウスを紹介された。自宅で2週間自分を見つめ直した後、自分の考え方に啓示を受け、長年の信念の有害な影響に挑戦し、それを軽減する方法を生み出した。
自分の哲学について話し合う非公式な会合を開き始め、1990年代初頭には、より正式なワークショップを開催し始めた。ビジネス・セミナー、学校、病院、教会、刑務所など、世界中のあらゆる場所で「ワーク」を実践している。

2023/12/01

自分とは

私たちが自分であると思っている「自分」は、ひとつの思考にしかすぎない
                カリヤニ・ローリー(ザ・グレイテスト・シークレット


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