阿含経では、「欲望を追うな」と教えています。
佐々木閑 仏教講義 7「阿含経の教え 3,その3」(「仏教哲学の世界観」第10シリーズ)
では、セイラーボブはどう言うかというと、欲望を追うなとも、追えとも言いません。セイラーボブ個人はどうなのかというと、はたで見る限り、欲望を追っている人には見えません。年齢的なこともあるのでしょうが、それほどお金に執着があるようには見えません。
ミーティングの入場料が一回20ドル(約1900円)、個人面談90分60ドルです。それが高いのか安いのかは意見が分かれるところですが、メルボルンの物価を考えると、妥当なのかなとも思います。ニサルガダッタ・マハラジやラメッシはお金を取らなかったと聞いたことがありますが、本当かどうかは知りません。
オーストラリアの年金制度では、国民は年金(保険料)を払い込む必要はなく、すべて税でまかなわれているそうです。それも、日本の生活保護水準よりも多いぐらいの額がもらえるそうなので、セイラーボブは全然お金に困らない。だから、本当は入場料なんて要らないのかもしれませんが、無料にすると、来る人が多すぎて困るのかもしれません。
もし、「エゴは作り話である」ということを理解すると、その人は欲望を追いかけるでしょうか。欲望、たとえばお金。それは、私がいると思っているから欲しくなるのではないでしょうか。地位や名誉。家族。そうしたものは、「私の」という枕詞をともなうものです。
もし、「私」が実在ではないのなら、お金や地位や名誉に執着する必要はないような気がします。「私」がいないのなら、誰のためにあくせくしているのでしょうか? セイラーボブの教えていることは、仏教(阿含経)で教えているのと同じで、結局は欲望を追わないことなのではないでしょうか? もし欲望を追わないのなら、悩み事のほとんどは消えてしまいます。執着を捨てられないから悩んでいるのであって、それができれば苦労はしないと言われると困るのですが、そこが仏教の教えの大事なところです。
これは私の勝手な解釈ですが、非二元も欲望を追わないことを教えているような気がします。