先週のブログで、非二元を理解してからは問題が解決するのが速くなった、とジェームズ・ブラハが書いていると書きました。
セイラー・ボブは、「私」は実在ではないと理解すると、「心理的な苦悩が消える」と言いました。ニサルガダッタ・マハラジは、「もう何も悪くはない」と言いました。
「私」は実在ではないということを理解すると、どんな良いことが起きるのかは人それぞれではないかと思います。でも、非二元の教えを理解したからといって、その瞬間から幸せになれるということではないと思います。
人が、「私は幸せだ」と言う時には必ず、比較・区別があります。「以前の私より幸せだ」「あの人より幸せだ」。そして、「私は幸せだ」と言った瞬間に、その対極にある不幸を生み出します。というのも、今ある幸せは、必ず変化して、対極へと動くからです。
私は、自分が幸せだとも、不幸だとも考えないようにしています。どちらもマインドの産物であり、幸せと不幸は必ずペアになっているからです。生きていれば幸せな瞬間もあれば、不幸な瞬間もあります。幸せな瞬間だけ続いて欲しいと思っても、そんなわけにはいきません。不幸な瞬間がなければ幸せはないからです。
じゃあ、「私は実在ではない」と理解すると、どんな良いことがあるのか?
私が思うには、物事に対する対応の仕方が変わるのだと思います。私が実在でなければ、人との差別や区別が消え、思いやりや慈しみが生まれます。争う必要も、過度に欲望を追ってあくせくすることもなくなります。
これは以前にもブログにあげた佐々木閑先生のYouTubeですが、そのあたりのことがとても参考になるので、もう一度掲載させていただきます。
佐々木閑 仏教講義 6「阿含経の教え 2,その44」(「仏教哲学の世界観」第9シリーズ)
佐々木閑先生のYouTubeを今後も何本か当ブログで掲載予定ですが、佐々木先生の更新はほぼ二日に一回あるため、掲載が追いつきません。もっと早く見たいという方は、佐々木閑先生のYouTubeで、オンタイムで見てください。