2025/07/29

それは思考より前に存在しています

ここには素のままの意識(naked awareness)があります。それでもあなたはここにいて呼吸し、見て、聞いて、味わい、触り、匂いを嗅いでいます。機能は依然として続いています。
しかし、もしあなたが思考を一時停止したら、思考はその瞬間に止まります。その瞬間、あなたは自分が思考以前にあることに気づくはずです。なぜなら、生(livingness)は思考より前にあるからです。
そして、すべての思考はその基盤の上で起こっていることに気づくでしょう。
それは思考より前に存在しています。
そしてまた次の思考がそこに入り込んできます。
もしあなたがその思考そのものなら、思考を止めたら、あなたは完全に終わりを迎えるはずですが、そうはなりません。
あなたはそのことを気づき始め、自然と一時停止が始まります。そして、それは「そこへは行くな」とか「完全に停止」とか「これは単なる概念だ」といった思考として浮かんでくるかもしれません。
まるで風船を針で刺すようなものです。思考に込められた意味は消え去り、散り散りになります。そしてしばらくすると、あなたはそれらのことを考える必要さえなくなるでしょう。それは自然な反応となるでしょう。
                                    セイラーボブ

2025/07/25

そこには「素のままの意識(naked awareness)」があるだけです。

質問者:私はそれが私の中にプログラムされている思考につながっているのだと思います。たぶん私はかなり管理された家庭で育ったんだと思います。私にとってすべては「コントロール」されています。
じゃあ、ネガティブな思考とか、そういったものをどうすればいいんでしょうか?
何度も読んだんですけど、「それをエネルギーとしてとらえる」といいらしいですね。
思考をただ通り過ぎていくエネルギーとして見る。
私はそれを観察していると自覚しているので、多少は距離が取れてる感じがします。
でも、それでもなお執着があるんです。
思考が起こる前に体がその感情を先に感じ取ってしまうんです。

ボブ:まさにその通りです。
思考、感覚、感情というのは同じものの三つの異なる側面なんです。
今すぐ涙が出てくるなんてことはないでしょう?
まず思考が浮かぶ——それがどこから来るのかはわかりません。
その思考がしばらくそこにとどまる。
そして次に「感覚」がやってくる。それも少しの間そこにある。
それから「感情」が出てくるんです。
私たちはそれを何度も何度も繰り返してきたので、感情が現れたとき、実はその前に思考があったことに気づかないのです。
まず「すべては思考に基づいている」と気づくことが大事です。
それに、私はこう言いましたよね——あなたはもう思考を眺めることに疲れている、と。
「フルストップ」を試したことはありますか?

質問者:考えるのをやめるということですか?

ボブ:そうです。ただ止めるんです。止めて、見てみてください。
思考を止めたとき、それを見てください。
思考がなければ、それについて何が言えますか?
すると気づくのです。
それは良いものでも悪いものでもない。
快でも不快でもない。
何のラベルも貼れない。
そこには「素のままの意識(naked awareness)」があるだけです。

2025/07/23

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その9」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


唯識が世界や個人をどのように考えていたのか、とても参考になると思うので備忘録として残しておきます。
佐々木先生は難しい仏教用語を使わずに説明されるので、とてもわかりやすいです。

2025/07/22

何かを変えようとしたり、努力する必要はありません

ボブ:調べてみると、抵抗があることに気づくでしょう。でも同時に、「無抵抗」でいようとすることもできないと認めることになります。それもまた一種の努力、つまり「抵抗しないようにする努力」になってしまうからです。

でも、抵抗を認識するということは、それを“反対側”から認識しているということになります。もし完全に抵抗していたら、それに気づくことすらできません。

「今、抵抗が起きているな」とか、「コントロールしようとしているな」とかに気づく時、
それは“コントロールしない立場”から認識していることになります。

それで十分です。何かを変えようとしたり、努力する必要はありません。ただ、反対側から認識するだけでいい。そうすれば、抵抗はどこにも居場所を見つけられなくなります。

2025/07/20

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その8」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


この話はとてもおもしろかったです。世界を見ているものは何なのか? それはモヤモヤしたもの。全然説明できないところがいいですね。唯識の世界観はなぜか納得してしまう説得力があります。説き方は全然違うのですが、非二元と同じことを説いています。

2025/07/18

「私」を手放すことは自然と起こります

質問者:手放すことに関して、私もまったく同じ問題を抱えています。あなたが話していることは、まさに今の私の状態です。「私」という存在をどこにも見つけられないという気づきがあって、すごく怖くなったんです。でも、完全に手放すことにはまだ抵抗があります。なぜなら、「私」というものが、自分が誰かに悪いことをするのを制御している存在だと思っているからです。

ボブ:同じことを言う人はかなり多いですよ。「自分が人を殺してしまうんじゃないか」って。でも、なぜそんなことをすると思うんですか? 今までそうしなかったでしょう? もしあなたの本質にそれがないのなら、そんなことはしないはずですよ。それに、あなたはもう手放しかけているんじゃないですか? 何が起きましたか?

質問者:まだ、自分の内側にある「コントロールを失うことへの恐怖」に抵抗を作ってしまっているんです。

ボブ:ひとつのことに気づけば、それは他のことにも広がっていきます。その一歩を踏み出すことへの恐れもなくなります。そこが重要なポイントです。探求して、何かが「偽りだ」と見抜いたら、もう二度とそれを本気で信じることはできません。だから、「私」を手放すことは自然と起こります。続けてください。

2025/07/15

手を放せ!

ボブ:そして私たちは、自分が身につけたもの、つまり概念的なイメージ、あるいは自我と言うものにしがみつくのです。崖から落ちた男のように。男は小さな木にしがみついてぶら下がっています。そして叫びました。

「助けてくれ!助けてくれ!上に誰かいるか?」。すると、声が聞こえてきます。「ああ!ここにいる」。男は尋ねます。「どうすればいいですか?」。すると、声は言います。「手を放せ!」。彼は周りを見回し、「他に誰かいないのか?」と叫びました。

私たちはこの自己中心性を手放します。それでどこへ落ちていくというのでしょうか? 人々はそんなことをすれば私たちを取り巻く世界が崩壊すると考えています。しかし、決してそうはならないと保証します。他の人たちもあなたに同じことを言うでしょう。

2025/07/13

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その6」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


外側の世界が実在するのかどうか。
ますますおもしろくなってきました。

2025/07/08

生は本来恐れではなく、自由である

質問者: ここでは常にこの作り出されたイメージのことについて話しています。それには抵抗があります。

ボブ: ええ。あなたはそのイメージに共感し、そのイメージが自分の望む姿ではないと感じているのです。あるいは、現状に満足していても、何かがそれに挑んでくるようなら、抵抗が生まれます。常に抵抗が続いているのです。ニサルガダッタは「生は本来恐れではなく、自由である」と言っています。

質問者: 恐怖は抵抗なのでしょうか?

ボブ: そうです。

質問者: 私たちがこの話をしているとき、少しばかりの恐怖があります。どう表現したらいいのか分かりませんが、抵抗感です。それが一体何なのか、私には分かりません。

ボブ: この信じられている存在には苦しみがあるもかかわらず、そこには少しばかりの安全感があります。だから、それにしがみついていたい。無となってしまうのが怖いのです。

2025/07/06

2025/07/04

善も悪もない。思考がそうさせるのだ

ボブ:限界とは、私たちが自らに課す境界線のことです。まるで自分が哀れな人間であるかのように。様々な心理的問題に陥るのも無理はありません。そして、私たちが自らに課す境界線とは言葉です。シェイクスピアはこう言いました。「善も悪もない。思考がそうさせるのだ」。

もしあなたが善でも悪でもないなら、もしそれらのレッテルを貼られていないなら、あなたはどこにいるのでしょう?  実際私たちは自らに課す概念的な境界線、つまり心身の境界線に制限されているわけではないのです。

質問者:うわべ上で物事を妨げているのは自己に対するイメージです。しかし実際には、それは私たちの生を妨げているわけではないのです。

2025/07/01

私たちはそれを奇妙な考えだとさえ認識していませんでした

ボブ:私たちが話しているこの非二元について、あなたは何を理解していますか?

質問者:ええ、あなたがおっしゃったように、別のラベルで呼び名で言うなら「生(life)」です。つまり、私たちは生について話しています。たった一つの生。そして、すべてがそこに現れています。

ボブ:生は何か特別な方法で表現したり、現れたりしますか? それとも、あらゆる方法で?

質問者:私たちは、自分たちがすべてのものの真ん中にあるという奇妙な考えを抱いています。

ボブ:あなたは、理性的に考え始めた頃から、その奇妙な考えを抱いてきましたね?

質問者:ええ、私が物心ついた頃からです。

ボブ:私たちはそれを奇妙な考えだとさえ認識していませんでした。そう信じていたんです。だから、それはリアルだったんです。