2025/04/29

不変の実在には始まりも終わりもない

ボブ:不変の実在には始まりも終わりもありません。だとすると、時間は始まりか終わりからしか測れないので、不変の実在には時間というものはないに違いありません。

質問者:ええ。そして概念を使うことでしか測れません? あなたが最後に言ったことを覚えていて、今それを思い出しているところです。

ボブ:では、その実在とは何でしたか?

質問者:私が今投影しているもののことです。

ボブ:それは今です! もしあなたが今それを思い出さなければ、それは永遠に失われてしまいます。戻ってもう一度それを生きることはできません。

2025/04/25

どんな思考にも執着しないということです

質問者:そして、それらの心配事さえも、過ぎ去ります。以前おっしゃったように、「昨日、先週、あるいは2年前に抱いていた心配事はどこへ行ったのか?」

ボブ:もう何もあくせくと考え続ける必要はありません。受け入れることも、くよくよすることもなくなり、自由に前に進むことができます。いわゆる「思考放置」です。思考を自由にする、つまり、執着しないということです。どんな思考にも執着しないということです。

2025/04/22

すべては不生の仏心の中で完全に解決されています

今この瞬間に起こっていることに完全に身を任せてください。聞くこと、見ること、味わうこと、触れること、考えることに。
完全に身を任せ、それを生きてください。過去について思い出す必要がある時は、他の機能と同じように自然に浮かび上がってきます。
盤珪が言うように、「すべては不生の仏心の中で完全に解決されています」。それはそこで解決されています。
そして、生そのものとともに在ってください。人生を味わってください。
それは常に私たちと共にありましたが、思考、心配、懸念の雲によっていつも覆い隠されているように見えますが、実際はそうではないのです。
                                    セイラーボブ

2025/04/20

2025/04/18

この瞬間が生なのです

質問者: ボブ、私たちは自由であり、マインドの内容物ではないとうことを再認識するのはどんな感じでしょうか? それは、苦しみから解放されるということではないですか?

ボブ: ええ、それはもっとシンプルなことです。苦しみから解放されると、物語の中にはもはや苦しみがなくなるのです。過去に戻って「私は苦しんでいた、私はこんな時に苦しんでいた」と言って、いつも比較することもなくなります。過去は実際に忘れ去られています。想像するのも難しいです。実際にどれほど辛かったか、どれほどひどかったかを思い出すには、記憶の奥深くを掘り下げなければなりません。
もう過去に戻って時間を無駄にすることはありません。その必要はありません。
生(livingness)すなわち、この瞬間が現実です。この瞬間が生なのです。この瞬間をもう一度生きることはできません。
未来の瞬間を生きることはできないのなら、今この瞬間にあることに完全に身を委ねてみてはどうでしょうか?  聞くこと、見ること、味わうこと、触れること。完全にそれに身を委ねてください。

2025/04/15

それはすべて、まったく苦労せずに自然に起こっています

ボブ:それには時間はなく、今という永遠のものです。

質問者:…そして、心が不安になっていないとき、マインドの中で同化や迷いといったものがないとき、そこにそれは現れます…

ボブ:今はないということですか?

質問者:そうです。わかりますが、それがすべてただ展開しているとき、同化していないときは、とても平和で、私は間違いなく、考えたり努力して混乱よりもその方を選びます。しかし、私にはその選択権がありません。選択する人はいないのです。

ボブ:ええ。選択をする人はいたのですか?

質問者:いいえ。

ボブ:あなたは、選択をする人がいると信じていたかもしれません。それはすべて、何の苦労もなく自然に起こっています。

2025/04/11

雲があっても太陽は影響を受けず、まばゆく輝いていることに気づいてください

思考は空を覆い隠す雲のようなものです。雲がなければ太陽が完全に輝いているのがわかりますね? この比喩を使うと、太陽は暖かく、明るく、輝いていて、とても幸せを感じます。
あなたの本質も同じです。澄んでいて空で、暖かく、愛に満ちているなど、もしそう表現したければ、あらゆる種類のラベルを貼ることができますが、どれも当てはまりません。
雲があっても太陽は影響を受けず、まばゆく輝いていることに気づいてください。
                                    セイラーボブ

2025/04/08

この覚醒状態は常に私たちと共にあるので、とても普通のことのように思えます。

ボブ:もっと楽しいこと、もっと良い家、もっと良い健康、もっと良いパートナーなど、あなたがどんなに楽しい経験をしても、時間が経つにつれて、それが普通のことになります。それが日常となるのです。

質問者:そして何か他のものを探すことになります。

ボブ:あなたはまた何かもっと良いものを探すでしょう。
この覚醒状態は常に私たちと共にあるので、とても普通のことのように思えます。とても普通のことです。
しかし、それが本当は何なのか、その本質を理解してください。
その中でリラックスしてください。
あなた自身、本当の自分を知ってください。
それが私たちが言う「再認識」です。
あなたはすでにそれを認識しています。それはすでに何度も認識されており、空に浮かぶ次の雲、一連の考えによって再び隠されているように見えます。
しかし、それを再認識してください。それをもう一度知って認識してください。

2025/04/04

彼らはそれを普通の意識(アウエアネス)と呼んでいます

ボブ:彼らはそれを普通の意識(アウエアネス)と呼んでいます! 普通の、日常のありふれた意識です。
さて、私たちが経験したことのある素晴らしい途方もない経験、素晴らしい閃きやビジョンなど、あるいは素晴らしい恍惚状態があったとしたら。あなたは夢中になり、常にその状態でいたいと思うでしょう。それで、それが1週間、1ヶ月、1年続いたとしたら、その後それはどうなるでしょうか?

質問者:それがとても普通の状態になります。

ボブ:ええ、それがあたりまえの普通の状態になります。そしてそれが普通のあたりまえの日常になります。

2025/04/02

一瞥体験

昨日ブログに掲載したポインターはとても重要だと思うので少し追記します。
私はセイラーボブが言うアウエアネスが何なのかを理解するのに4年かかりました。それが、私たちの普通の意識のことだだったのには唖然としました。ああ、そういうことだったのかと。

私は、ボブが教えていることを理解したら、何かが起きるのだと思い込んでいました。でも、何かが起きるはずはないのです。なぜなら、普通の日常の意識(アウエアネス)のことを教えているのですから。それがわかってから、ボブの「ただそれだけ」やセイラーボブ以外の非二元の教師たちの発言を読んでみると、すべてがすんなりと理解できました。

多くの非二元の探求者たちは、非二元を理解したら、何か特別なことが起きるはずだと思い込んでいます。あたかも、意識に何らかの変容が起こって別次元の意識を体験するかのようなことが起きるのではないかと。非二元の教えをちゃんと理解していない人たちが、「私は一瞥体験をした。そこに私はいなかった」と言うものだから、多くの人たちが自分もそういう体験をするはずだと思い込んでいます。

でも、一瞥体験など起こりようがないのです。当たり前の普通の意識のことなのですから。おそらく多くの一瞥体験者は、間違った情報を鵜呑みにして自分にも一瞥体験が起こるはずだと信じているために、マインドがそういう体験を引き起こすのだろうと思います。それは単なる疑似体験にすぎません。実は私もそういう体験をしたことがあります。

非二元の教えの核は、「もともと私は実在しない」ということです。実在しない「私」が、「私がいないという一瞥体験」などしようがないのです。一瞥体験をした人の多くは「そこに私はいなかった」と言います。では、どうしてそれを覚えているのでしょうか? 「私」がいなかったなら、それを覚えているのは誰なのでしょうか?

そして、決定的な誤りは、一瞥体験をした人は、今はまた「私がいる」と思っていることです。一瞥という意味はそういう意味ですよね。非二元の教えの核は「もともと私は実在しない」ということです。「私がいる」と思っている時点で非二元をちゃんと理解していないことになります。

一瞥体験は、もともと実在ではない「私」を作り出して、その架空の「私」が一瞥体験するというトリップをしているにすぎません。エンライトメントがおとぎ話である以上、その世界を一瞥することなどありえません。

非二元の教師たちが教えていることは、何かになることや何かを体験することではありません。ましてや、何かを達成したり手に入れたりするこではないのです。彼らは単に、私たちの思い違いを気づかせようとしているにすぎません。何かが起きるはずだと思っていると、非二元の教えを理解できずにさまようことになります。

2025/04/01

それは日常のごく普通の意識のことです。

ボブ:これ以上何が欲しいですか? 精神的な高揚感、それとも落ち込み? もしそれを手に入れたら、どれくらい続きますか? それは素晴らしい経験ですか? あなたが想像する経験についてはどうですか… おそらく人生で素晴らしい経験をしたことがあるでしょう。 それは続きましたか?

質問者: いいえ。

ボブ: つまり、そうした経験は実在としては永続しないということですね。

質問者: ただ意識でいるだけで、実はとても平和です。 問題はなく、何もないのです。 ただ… 思考が再びやってきて、こう言います。「ああ、神様、これがすべてなのですか、これはただこの意識、日々の思考が起こってくる普通の意識のことなのですか?」

ボブ: 彼らはそれを何と呼ぶのですか? 普通の意識です! それは日常のごく普通の意識(アウエアネス)のことです。