2024/11/29

何がやってきても、そのままにしておいてください。

それは自然界で起こっていることと同じです。そのままにしておけば、ひとりでに収まっていきます。何かが起こり、「これが好き」、あるいは、「これに抵抗してはいけない」という思考が起こった時でさえ、それをどうにかしようとせずに、そのままにして、変更も修正もせず、受け入れも拒絶もせず、執着も放棄もせず、そこにはいかなる見解も考えも抱かないのなら、それはそこに留まることができるでしょうか?
何がやってきても、そのままにしておいてください。すると、自然界で起こっているのと同じように、それは去っていきます。
                                    セイラーボブ

2024/11/28

即心是仏(心が仏である)

【第2回:禅僧の逸話に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2024年6月11日(火)

もともと私たちの心が仏である。
馬祖の話は大好きです。

2024/11/26

もし、存在の感覚がマインドによって思考の「私は在る」という言葉に翻訳されなかったら、あなたは何なのですか?

私たちの問題はすべて、「私は在る」という信念から生まれます。では、「私は在る」とは何でしょうか? それは学んで身に着けたものではありませんか? もし、存在の感覚がマインドによって思考の「私は在る」という言葉に翻訳されなかったら、あなたは何なのですか?
                                   セイラーボブ

2024/11/24

もうそろそろ休ませてあげたい

Nondual investigation beyond words, beyond mind. With Sailor Bob's silent presence.

セイラーボブの居間でのライブが放送されました。

ボブが特別な人間ではなく、普通の人と同じように老いて病に苦しむのだということを知るには良い機会かもしれませんが、もうそろそろ休ませてあげたいなあと思ったのは私だけでしょうか。

2024/11/22

以前ケンさんからいただいたおたよりについてもう一度

以前このブログにいただいたケンさんからのおたより。それを時々思い出して考えることがあります。
「私」が実在ではないのなら、そこには何があるのか。セイラーボブが知性エネルギーと呼ぶものは何なのか? 多くの非二元の教師がアウエアネス(意識・あるいは気づき)と表現するものは何なのか? いくら非二元の本をあれこれ読んでも、結局はそれは私たちが確認することも理解することできないものだというような説明に行き着くだけです。
それ以上の説明を聞くと、ケンさんが言われたように、それを「我」の置き場にすることは避けられないような気がします。

非二元の教師の中には、「『私』は思考の産物であり、実在しない」というところまで説明して、それ以上の説明をしない教師もたくさんいます。時々思うのですが、非二元の教えの一番大切なところは、「『私』は思考の産物であり、実在しない」ということだと思います。説明はそこで終わりにしてもいいような気がします。これは私の勝手な解釈ですが、仏教もそこをゴールにしていて、それ以上のこと(そこに何があるのか)を説いていない気がします。

それ以上のことを説けば、神話や想像の世界に入って行かざるえません。
非二元は宗教でもカルトでもなく、日々の生活に役立つ実践的な教えだと思うし、そうあるべきだと思います。だとすると、「『私』は思考の産物であり、実在しない」ということの理解だけで十分ではないかと思います。それ以上の理解を手に入れようとするのは無駄であり、危険でさえあるような気がします。多くのカルトマスターたちが、あたかもそれを手に入れられるもののように説いて多くの人を誤らせた歴史を見ればわかることです。

セイラーボブの言葉であっても、例えば「知性エネルギー」という説明を鵜呑みにする必要はなく、神話として片付けてもいいし、別の解釈もあっていいと思います。
私はといえば、「『私』は思考の産物であり、実在しない」という理解までで終わりにしています。「私は実在しない」ということは確信を持って理解しました。でも、それ以上のことは知らない。そこには何があるのか。それは何なのか。それは誰にもわかりようのないことだと思います。U.G.クリシュナムルティが言うように、意識なんてものがあるのかどうかも疑ってみる必要がある。

2024/11/19

非二元の教えの胆(きも)

非二元の教えの胆(きも)は何だろうかと時々考えます。「私は実在ではない」とか、「物事は自然に起こっている」とか言われても、じゃあ一体どうすりゃいいの? と思うこともあります。
「私」は実在ではないと理解すると、私たちの悩みはマインドの産物であり、実体のないものだということがわかります。「私」が実在ではないのなら、その「私」の産物である悩みや不幸も実在しない。

非二元の教えは、必要以上に自分を責めたり、不安や精神的苦悩を抱え込んだりしないためにあるのだと思います。責めるべき「自分」も苦悩も想像の産物にすぎない。
10年前、20年前の自分を思い返してみて、その頃何を悩み苦しんでいたかと思い返してみると、そのどれもがそれほどのことでもなかったと気づきます。
そうやって一生を終えると、最後には、この「私」も消えていく。

そうわかっていても、あれこれの悩みや迷いを運んでくるのがマインド。そしてまた「私」はそうした悩みや迷いと格闘、あるいは遊び始める。その繰り返し。
非二元を学ぶと、その格闘、あるいは遊びから、ある種の距離感が生まれ、以前ほどどっぷりと問題に巻き込まれることはなくなる。そこらあたりが非二元の胆なのではないでしょうか?

マインドの活動を停止させることはできなし、架空の「私」を完全に消し去ることもできません。
でも、それが想像の産物だということを知っていたら、起こっている幻想の世界を楽しんで生きる手立てとなるのではないでしょうか。

2024/11/17

最後の公開ミーティング

Sailor Bob's Last public Satsang. 17 Nov 2024

今後はオンラインで継続するそうです。

2024/11/16

ミーティング終了のお知らせ

セイラーボブの家の居間でのミーティングは、明日(2024年11月17日)が最後になるという発表がありました。
理由は、ボブの体調がよくなくて、居間に病院用のベッドを備え付けるためだそうです。ボブの寝室は家の二階にあり、最近は階段昇降用の簡易エレベーターで移動していたようですが、それも難しいのかもしれません。
ボブの病気についての詳細な発表は今のところありませんが、痛みを緩和するための処置が必要だそうです。以前の facebook 上の発表では、ボブは oncologist doctor(腫瘍専門医)にかかっていると言っていました。
三日前まで、ボブはズームのミーティングに出て話をしていましたが、今後ズームミーティングを続けるかどうかは今のところ発表がありません。

2024/11/15

それは自ら輝き、自らを知り、自ら目覚めている

ボブ:私が「普段の目覚めている状態」というのは、覚醒している状態であり、あなたはそうなるために何の努力も必要としていないということです。自分が眠ってはいないと気づけば、目覚めているに違いないのです。では、それをどうしますか? そのままにしておいてください。そのままに。

質問者:それを見つけることはない。もうすでに見えているのですから。

ボブ:ええ。

質問者:誰がそれを見ているのですか?

ボブ:覚えておいてほしいのは、それは自ら輝き、自らを知り、自ら目覚めているということです。

2024/11/12

つまり、あなたは「それ」なのです

つまり、あなたは「それ」なのです。あなたは、そこにはある実在が存在すると一貫して堅く信じてきました。
そもそも、何もなかったのに、その存在に戻ることはできません。
今では、それは見破られ、理解されているので、もはやそこには実在が存在すると信じることはできません。
                                    セイラーボブ

2024/11/11

セイラーボブの近況

10 Nov 2024, Nonduality with Sailor Bob on Kat's 50th

セイラーボブはミーティングに復帰しましたが、まだあまり体調がよくないということで、最初に一言挨拶して、あとはカットが話をしました。ボブがつらそうなのがちょっと気になります。

昨日はリビングに入りきらないほど大勢の人でした。

2024/11/08

実体としてのあなたを認識できますか?

ボブ:認識する領域の内側を可能なかぎり頻繁に注視し続けると、そこには執着するものが何もなく、去っていきます。それにはそれほど時間はかかりません。

質問者:それからあらゆるパターン化が起こるのですが、それは誰かに起こっているのではないので苦しみとはなりません。

ボブ:そこに実体としてのものがないのなら、そこには実体がないという理解が起こります。そこに実体が存在することは決してありません。それは常に誤った思い込みでした。では、あなたはどこにいますか? 実体としてのあなたを認識できますか?

質問者:いいえ。

ボブ:つまり、あなたは自身が自然な機能、知性エネルギーそのものであるとわかるはずです。

2024/11/06

何のために瞑想するのか

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その69」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

最後の5分間がとても参考になります。

2024/11/05

原因を取り除けば、結果はどこにあるのでしょうか

「私」が存在しないことを理解したなら、「あなた」も存在しません。
では、「私」も「あなた」も存在しないなら、誰が優れているのでしょうか。あるいは誰が劣っているのでしょうか。
私はあなたに何を望むでしょうか。
原因を取り除けば、結果はどこにあるのでしょうか。
言い換えれば、東洋では原因と結果はカルマと呼ばれ、キリスト教では「蒔いた種は刈り取る」とされています。
原因を取り除けば、結果はどうなるでしょうか。
結果も消え去らなければなりません。そして、その単純さこそが、起こるべきすべてなのです。
                                   セイラーボブ

2024/11/04

ズーム・グループ・ミーティング

Zoom group recording from 28th of Oct 2024

セイラーボブは、一時的に入院中だそうです。胸部の感染症とか言っていました。大したことではないということで、投薬治療の後すぐに退院するそうです。昨日(11月3日)のミーティングはボブ不在で行われました。その様子はfacebookでは中継されましたが、YouTubeでは配信されませんでした。代わりに10月28日のズーム・ミーティングの様子が配信されました。

現在、ボブのミーティングは、日曜日の午前中にボブの自宅で行われている他は、週三回、時間帯をずらしてzoomで行われています。(ボブのホームページ

2024/11/01

本当の私とは、時間を超えてそこに存在する知る働きであり、その認識の内容物ではありません

ボブ:あらゆる思考が、常に今ここで経験されているのは明らかなことです。他の場所ではありえません。過去の思考も今ここに現れてます。
本当の私とは、時間を超えてそこに存在する知る働きであり、その認識の内容物ではありません。

質問者:それでも、不安の記憶が再び浮かび上がることがあります。

ボブ:不安は再び浮かび上がりますが、それは何ですか?あなたはそれを持っている存在ですか?

質問者:いいえ。

ボブ:不安は再び浮かび上がってきます。あなたが自身のことを、不安とは別の、何かを持っている存在、目撃しているかまたは気づいている存在がいると信じている場合にそれは起こります。そしてそれが問題となります。本当の私とは、すべてが現れている知る働きのであるということを見抜いたとき、浮かび上がってくることはそれほど重要ですか?

質問者:いいえ。