2024/06/28

もし最初の感覚にラベルを貼りつけなければ、それは去っていきます


どこかへ行こうとして渋滞にあったときを例にしましょう。イライラします。それを何とかしようとしないで、ラベルを貼らないでおけば、それは単なる感覚が起こったにすぎません。批判しなければ、それは感覚にすぎず、去っていくのです。

最初の段階で、巻き込まれるとか、巻き込まれないでいようとかしないで、通り過ぎる車のようにただやりすごせばいいのです。古い習慣がやってきて権利を主張して、私のイライラ、私の失望と言いだします。失望、イライラは起こります。でも、もし最初の感覚にラベルを貼りつけなければ、それは去っていきます。
                                    カリヤニ

2024/06/25

根底にあるものは何か

佐々木閑先生のYouYubeを見ていると、一言で仏教と言っても、いろんな教えや考え方があって面白いなと思います。世界の認識の仕方一つとっても、初期仏教と説一切有部や唯識では同じではありません。でも、根底にあるものは「諸法無我」であり、それは変わりません。

同じことが非二元の教えでも言えるのではないでしょうか。説き方は人それぞれであり、場合によってはそれぞれが互いに矛盾したことを言っているように思える場合もあります。でも、根底にあるものは「私には実態がない」ということであり、それから外れていなければいいような気がします。

でも、私はエンライトメントある派のマスターを支持しません。エンライトメントある派のマスターを支持しないというのは少し狭量だと思われるかもしれませんが、そこだけはどうしても譲れません。それを許してしまうと、そこには誰かエンライトメントする人がいることを認めてしまうことになります。

エンライトメントある派のマスターも存在していてかまいませんし、エンライトメントを目指している人たちのことをとやかく言うつもりもありません。でも、彼らの教えていることは非二元ではないし、彼らを非二元を教えるマスターと同じように扱うのはよくありません。そして、非二元の教えをエンライトメントとごちゃ混ぜにして理解しようとするのは間違っていると思います。非二元の世界にエンライトメントはありません。

2024/06/21

そこには一つのエッセンスがあるだけです

この肉体がなくなったあとでも、このマインドが続くのかということですね。
そこには一つのエッセンスがあるだけです。
一滴のしずくが海に落ちます。
その同じ一滴のしずくをまた海から取り出せると思いますか?
うわべ上では海に入っていくように見えますが、その一滴もまた海なのです。
                                    セイラーボブ

2024/06/18

魂、あるいは霊は実在するのか

私は非二元を学んでから、魂も霊も実在しないと思っています。
仏教ではどうでしょうか。この話もまた興味深い話でした。

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その39」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)

2024/06/14

あなたは生かされています

小さな胎児は母親の温かさ、心拍、呼吸に身を任せています。胎児は何の苦もなく成長します。そしてこれはまた、「私が考えた」、この「考え」や「イメージ」には何の力もないことの証となります。
それには力はありません。それが「私」なのです。これが起こっていることだとわかってください。
あなたは生かされています。
あなたは生そのものなのです。
                                        セイラーボブ

2024/06/11

目覚めようとするいかなる試みも、私たちをそれから遠ざけます

私たちはみな、目覚めやエンライトメントに対して間違った思い込みをしています。そしてそれが障害となっています。目覚めようとするいかなる試みも、私たちをそれから遠ざけます。なぜなら、私たちは、このもともとあるアウエアネス(意識)のことを話しているからです。
                                 ピーター・ローリー

2024/06/07

なるという未来の時間は存在しません

「なる」ということは、何かになるという未来の時間を投影しています。
なるという未来の時間は存在しません。
現実とはまさにこの瞬間です。それが生きるということです。
この瞬間をもう一度生きることはできません。この瞬間、いまここを。
                                  セイラーボブ


2024/06/04

この世のどこにも我はない

佐々木閑先生のYouTube「ミリンダの問い」を時々見直しています。そしてあらためて仏教は非二元の教えそのものだと感じています。非二元の教えを学んだからこそ佐々木閑先生の教える仏教がよくわかるのだと思います。

佐々木先生は、「我」はどこにもないということを理解することは、仏教の悟りへの修行の重要なステップだとYouTubeの中で言われましたが、おおいに納得できます。「私」が実在ではないとわかれば、欲や煩悩は自然と消えていくのではないでしょうか。

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その4」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)
この回などはセイラーボブのスピールを彷彿させます。まったくすばらしい。