2021/08/14

非二元とは

仏教について書こうとして、仏教は釈迦から始まるので、まずは釈迦が出てくる以前のインドの状況について調べようと思いました。釈迦以前のインドの宗教はバラモン教がメインとなっていたようなので、図書館に行ってバラモン教の経典 世界の名著 1 バラモン教典/原始仏典 を借りてきて見たところ、その中に「不二一元論」という見出しがあり、シャンカラという人が書いた「不二一元論 ブラフマ・スートラに対するシャンカラの注解 二・一・十四、十八」」という注解書があった。

「不二一元論」はアドヴァイタ・ヴェーダーンタのことであるということは知っていたが、はたしてそれが具体的には何なのかを知らなかった。アドヴァイタについては、セイラーボブの教えの根底にそれがある程度のことしか知らない。
調べてみると、シャンカラは8世紀のインドの哲学者で、アドヴァイタを大成させた人らしい。

そのシャンカラが書いたとされるのが「不二一元論 ブラフマ・スートラに対するシャンカラの注解」。仏教のことを書くより先に、まずアドヴァイタのことを書くべきだと思って書くことにしました。

「不二一元論(ふにいちげんろん、サンスクリット語: अद्वैत वेदान्त、Advaita Vedānta、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ、Kevalādvaita)とは、インド哲学・ヒンドゥー教のヴェーダーンタ学派において、8世紀のシャンカラに始まるヴェーダンタ学派の学説・哲学的立場である。これはヴェーダンタ学派における最有力の学説となった。不二一元論は、ウパニシャッドの梵我一如思想を徹底したものであり、ブラフマンのみが実在するという説である」Wikipedia 不二一元論より)

「梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。」Wikipedia梵我一如より)

ちょっと乱暴な解釈をすると、ブラフマンというのはセイラーボブの言うアウエアネス(知性エネルギー)で、アートマンは自己(魂)。じゃあ、シャンカラの説くアドヴァイタやヴェーダの梵我一如がセイラーボブの説く非二元と同じなのか?

セイラーボブは、自らの教えの根底には、インドに古くから伝わるヒンズー教哲学のアドヴァイタ、チベット仏教の最高の教えであるゾクチェン、高度なキリスト教を基にしていると言っているが、伝統的なアドヴァイタのいかなる流派にも属していないと言っています。

セイラーボブは「アドヴァイタ」という言葉は使うが、「ブラフマン」「アートマン」「シャンカラ」という言葉を使ったのを聞いたことはありません。

私は今まで、非二元、アドヴァイタという言葉の定義をはっきりとブログに書いてこなかったので、ブログを再開するにあたり、一度そのへんをはっきりとさせようと思いました。

Wikipediaで「非二元」と検索しても出てこない。「アドヴァイタ」と検索すると、Wikipedia 不二一元論 が出てくる。ということは、アドヴァイタ=不二一元論ということはできるが、非二元=アドヴァイタではない。

Wikipediaで「非二元」と検索しても出てこず、代わりに「一元論」が出てくる。それによると、「一元論(いちげんろん、英: monism、仏: monisme、独: Monismus)とは一つの実体から現実が成り立っていると主張する形而上学の諸学説を指した用語である。

これに対応する反対の見解を示した学説に実在を二つに区別する二元論(dualism)や実在に対して数的な規定を行わない多元論(pluralism)がある。」となっている。

非二元論=一元論と言うことはできる(そうではないと言う人もいる)。非二元論(一元論)はアドヴァイタのことのみを指すのではなく、ヒンズー教、仏教、ユダヤ教、古代ギリシャなどにも同じ考え方があるという。

要するに、アドヴァイタは非二元の教えであるということはできるが、非二元とはアドヴァイタだけを指すものではなく、様々な宗教や哲学の根底にある教え、もしくは哲学であるということ。非二元の教えは、様々な成り立ち、伝統があり、必ずしもアドヴァイタが源となっているわけではない。

ニサルガダッタ・マハラジは、伝統的なアドヴァイタの一つの流派のグルから教えを学んでいるが、その教えは必ずしもシャンカラの教えそのものではない。それは例えば日本で禅を学ぶ場合、その源流は釈迦にあるとしても、それが釈迦の教えそのものとは言えないのと同じ。アドヴァイタにもたくさんの流派がある。

そして、セイラーボブは、自分でも言うとおり、彼独自の非二元の教えであり、アドヴァイタそのものの教えではない。そのため、ブラフマンは知性エネルギー(アウエアネス)と同じものだと軽々には言えない。

もしブラフマンが知性エネルギー(アウエアネス)と同じものだと言うのなら、その両方の教えに精通していなくてはいけない。アドヴァイタとは何なのかをもっと調べないといけない。


非二元論、アドヴァイタとは何かを確認する意味で以下を読んでみてください。
私の場合、その定義づけがあいまいで、はっきりと認識してこなかった気がします。

一元論Wikipedia(非二元論のこと)

不二一元論Wikipedia(アドヴァイタのこと)

シャンカラ

梵我一如