今あなたは、パソコンか何らかの端末を使って私のブログを読んでみえると思います。
でも今、例えば、生まれて初めてそのパソコンか端末を見ると仮定して、それを見てください。
あなたは、パソコンや端末が何であるかを知りません。
するとそれは一体何ですか?
同じように、視界に入る物一つ一つを、生まれて初めて見るように見てください。
そこには、生まれてからこれまでに学んで貼り付けてきたラベルが張り付いています。
蛍光灯、机、椅子。そうしたラベルを剥がして見てください。
するとそれは一体何ですか?
もし、自分がこれまで学習して貼り付けてきたラベルを剥がして見たら、それは一体何ですか?
そうやって、一つ一つラベルを剥がして見てください。
すると、そこに広がる世界は何ですか?
人に対して貼り付けているラベルも剥がして見てください。
父、母、恋人、親友、子供、上司。
景色に貼りつけているラベルも剥がして見てみてください。道路、山、川、大地。
すると、それは何ですか?
そして最後に「私」というラベルを剥がして見てみてください。
するとそこには何がありますか?
私たちが見ている世界はすべて概念です。
もしその概念のラベルをすべて剥がしたら、そこには何がありますか?
確かにそこには何かがあります。
でも、概念のラベルがなかったら、そこには混沌とした世界が広がっているだけです。
もし、あなたが概念のラベルを貼り付けなかったら、それは物としての区別のない一つのものです。
「私」というラベルは、あなたが後天的に貼り付けたラベルにすぎず、「私」はいません。
あなたが概念のラベルを貼り付けなかったら、そこに広がっているのは、たった一つのものです。
ヴィクトリアマーケット・メルボルン