2025/03/07

非二元を理解すると何が起きるのか

非二元を理解すると何が起きるのか。
つまり、「私は実在しない」「万物は1つのもの」といったことを理解して起きる事は何か。
ひとつの効果としては、自分と他の人、あるいは世界が一つのものだということが理解できれば、人を思いやる気持ち、愛情が増すのではないかと思います。

これはルパート・スパイラも言っていることで、彼は「愛」という言葉で表現しています。
「エンライトメントとは何か?それはどのように起こるのか?」ルパート・スパイラ

内側に愛が増していくと、競争や妬み、嫉妬というものが消えていき、人を思いやることができるようになると思います。

逆に言うなら、非二元を自分では理解したと思っていても、人を妬んだり恨んだり憎んだりする気持ちが消えないうちは非二元を理解しているとは言えないのではないかと思います。逆に、そういった気持ちがあるかないかを、自分が非二元をしっかりと理解しているかどうかの指標にするといいと思います。

仏教で言うなら執着です。自分が金、地位、名誉などに執着してないかを基準とするといいと思います。いくら非二元を理屈として理解していたとしても、人に対する愛情がなく、妬みや嫉妬、怒りや恨みでいっぱいなら、非二元を生きているとは言えないし、ちゃんと理解しているとは言えないと思います。

セイラーボブ、カリヤニ、ピーターに会った時、何とも言えない暖かいもの、心地よさを感じたのは、彼らはしっかりと非二元を生きているからだと思います。
実際にその人が非二元を生きているかどうかは、会って会話してみないとわからない。

過去の嫌な思い出がたびたびやってきて苦しめるなら、まだまだです。人を妬んだり恨んだり憎んだりするならまだまだです。些細なことでイライラしたり動揺したりするならまだまだです。ひるがえって、私はどうかというと、まだまだです。

こんなことを言うと、セイラーボブに叱られます。「あなたがそのことを考えなかったら何が問題ですか?」「あなたはもともとそれです」と一喝されそうです。でも、少しずつ変わってきたなという感じはあります。

非二元の教えそのものはそんなに難しいことではないので、知的に理解することは難しいことではないと思います。でも、それが身に染みて、非二元を生きているかどうかは別の話だと思います。それほど私たちの条件付けは根深いように思いますが、みなさんはどうでしょうか。

2025/03/04

幼い子どもが推論し始めるとすぐに、それはやってきます

私たちが分離の感覚を身につけるとすぐ、つまり、幼い子どもが推論し始めるとすぐに、それはやってきます。

その推論する能力によって不安感と脆弱性が始まります。私たちはもはや、自分が完全でトータルであるとは感じません。自分は「分離した存在」であるという考えを抱きます。

「私」や「自分」に関連付けられないものを見ると、「それは私ではない、それは自分ではない」と言います。そうやって、私たちは分離した傷つきやすい存在だと感じるのです。
                                    セイラーボブ