2025/01/17

何も失われはしない

質問者: 「何も失われはしない」とはどういう意味ですか?

ボブ: ええ、生のエッセンスが身体に生気を与えなくなっても何も失われません。
パターンは崩壊します。でも、何も生まれてはいなかったので、何も死にはしません。
それは依然として同じ知性エネルギーです。
何も加えられることはなく、何も取り除かれもしません。
それには時間も空間も肉体もなく、いつ、どこで、どのように、生まれ、死ぬ、そうしたことすべてを超えています。
それらはすべてその内容物にすぎないのです。
私たちが概念化し、名前を付けることができるものはすべて、本当のあなたであるエッセンスの中に含まれています。
すべての顕現が空間に含まれているのと同じように。
                                    セイラーボブ

2025/01/14

この世界は、何もないのです

ボブ:夢から目覚めると、夢はどうなりますか?

質問者:何もなかったかのように、消えてしまいます。

ボブ:そこには何もありませんでした。

質問者:建物や山、その他いろいろなものがありました。

ボブ:ええ、そう見えましたよね? 本当にとてもリアルに見えました。特に悪夢の場合は現実のように見えます。でも目覚めると、すべてが消えて何もないのです。

質問者:ええ、そして私が眠りに落ちるとき、この世界は消えて何もないのです。

ボブ:そのとおりです。
                                    セイラーボブ

2025/01/10

すべて空間のような意識なのです

人々はそれが戻ってきたと言います。しかし、そこに存在しなかったものがどうして戻れるのでしょうか?
もしそれを見抜き、そもそもそれがフィクションであり、実体も独立した性質も持たなかったことを本当に見抜いたなら、それが戻ってくるでしょうか?
それが認識する空以外のものであったことなどなかったのです。その知る働きがあなたであり、それが今、宇宙の中で、木々、星、銀河、全体として表現し、パターン化し、それらとして現れていますが、それは本質的に何ですか?
それでもそれはすべて空間に含まれています。それはすべて空間のような意識なのです。
                                    セイラーボブ

2025/01/09

今日のセイラーボブ

facebookより(google翻訳)

ボブの状況の最新情報、寄せられた質問にまとめてお答えします。

彼は現在、注射用モルヒネを服用しており、皮膚パッチや経口薬に比べて、痛みのコントロールが全般的に安定しています。

彼は愛され、幸せですが、エネルギーレベルは日によって、時間によって変化します。食欲がなくなったため、彼の一番好きなおやつでさえも、もう誘惑されません。食事代替品もしばしば拒否されますが、少量の食事、スナック、ジュース、ゼリーで十分なカロリーを摂取しています。

ボブ・アダムソンは今でもズームグループを楽しんでおり、私の1対1の通話を聞くのが大好きです。私たちは彼の好きな音楽やテレビ番組を流し、彼の好きな聖書を声に出して読み、たくさん抱きしめ合います。

イースタン緩和ケアチーム、私たちのGP、その他のサービス提供者からの医療と支援は素晴らしく、私たちは毎日それに深く感謝しています。

そして、タニヤの存在と素晴らしい助けにより、この一見すると楽な旅の部分がかなり楽で軽いものになりました。愛の存在が中心テーマです。そして、ありのままの姿。未来も過去もなく、予測も苦しみもありません。ボブはまたしても平均寿命を超えて生きてしまったので、もう予測はできません 😉。

2025/01/07

久しぶりに精神世界のコーナーへ

正月に名古屋栄の丸善本店へ行ったら、もともと6フロアーあった本のフロアーが4フロアーに縮小され、2フロアーは駿河屋というホビーショップになっていた。最近は精神世界のコーナーへは行っていなかったが、まだあるのか気になって行ってみた。場所は変わっていたが、まだあった。

セイラーボブの「ただそれだけ」が棚から消えたのはずいぶん前のこと。今はどんな非二元の本が並んでいるのかと見て驚いた。古閑博丈さんの本も高木悠鼓さんの本も並んでいない。引き寄せ本やチャネリング関連本はまだたくさん並んでいるのに、私が知っているような非二元の本が棚にない。非二元の本のピークはもう過ぎてしまったのだろうか? 非二元の本はすぐに絶版になってしまうし、古閑さんが最近は非二元の本を出されていないせいもあるのかもしれない。

AMAZONのサイトで「非二元」で検索すると、日本人によって書かれた非二元の本がたくさん出てくる。そうした本は立ち読み程度でしか読んだことはない。でも、AMAZONのサイトのコメントや、著者のサイトからでもある程度の内容の推察はできる。一言だけ言わせてもらうと、「非二元」という言葉はもともと日本語にはなかったはず。おそらく、この20年ほどの間に英語の non-duality という言葉を「非二元」と翻訳したものが広まったと思われる。

インド哲学を研究していた人たちは、「非二元」という言葉ではなく、「不二一元論」という言葉を使っていたはずなので、それまで日本では「非二元」、あるいはノンデュアリティという言葉は広まっていなかったと思われる。

だとすると、日本で非二元の本を書いている人たちは、「非二元」という言葉をどこかから仕入れて使っているはず。それならば、その言葉の定義や、それをどこから仕入れたのかを明示すべきだと思うが、そのあたりのことをはっきりと語っている人は少ないように思う。ある日突然一瞥体験をして、非二元の体験をしたと言うなら、なぜそれが非二元の体験と言えるのかを明示すべきではないでしょうか? 

例えば、「私の体験はトニー・パーソンズの書いている体験そのものだった」あるいは、「私の体得したことはジョン・トリフソンの言っていることと同じだ」というような感じで。もし誰からも非二元を学んでいないと言うならば、「非二元」という言葉をその人が発明したことになるが、そんなことがあるでしょうか? 

私がこのブログで取り上げた非二元の教師の多くは、自分が誰から非二元を学んだかをはっきりと書いています。そうすることで、教えに対する信頼性が高まるし、読み手は他に何を読んだらいいのかがわかります。

非二元という言葉の定義づけをはっきりしないまま、非二元について語っている本やサイトが多すぎるような気がします。どう考えても非二元論ではないのに、「私はいない」と言えば非二元としてまかり通ると思っている人もいる。

良質な非二元の本が書店の棚から次々と消えて、「私はいない」というフレーズをごり押しする類の本が増えていくのは悲しい気がします。もちろん、日本の方で良質な非二元の本を書いてみえる方もみえると思いますし、正しい非二元を教えてみえる方もみえると思います。

でも、今どきは誰でも非二元教師の状態で、非二元の本質が理解されないまま、単なる悩み事の相談窓口として広がっているような気がします。非二元を理解すること自体はそれほど難しくはないが、誰もが教師になれるほど簡単でもないし、なっていいわけでもない。真の非二元の教師とは、長い探求の末にやっと本物の非二元の教師と出会い、師の下で教えを学んで手に入れた人たち。理解の深さが全く違う。

彼らの説明には深みと知性があり、人に対する愛情と洞察にあふれている。真の非二元の教師の資質を持つ人は稀有な存在。ちょっと本をかじって毎回オウムのようにコピーした文句を繰り返すだけの人たちが、真の非二元の教師たりえるはずがない。

2025/01/03

それは空間以外の何ものでもなく、何もないものなのです

あなたが「私」と呼んでいる体とマインドは、すべての顕現と同じように空間に含まれています。
空間は空(くう)ですが、何の形もなく、周囲も中心もありません。そして、空間に現れる内容物は、(何もないところからは何も生まれないように)何かとなって現れているように見えても、その本質は何もないものなのです。
あなたは空間の内容物です。それがあなたというパターンとなって現れているのです。
つまり、それは空間以外の何ものでもなく、何もないものなのです。
                                    セイラーボブ