2023/08/04

あなたはそれを理解する必要はありません

2023.7.30ミーティング 45:19から

カット:コメントが来ています。彼女いわく、「物事が静止した世界の中を私が動くというより、私はいつも変わらずにいて、私の中を物事が動いていくという表現が好きです」。ええ、また私たちは過去数回のzoomミーティングで、似たような理解について話をしていますが、それは、命が私たちを生きているということです。すなわち、目や体は命によって生かされているということです。

私たちは、体が動くのを見ると、それを見たマインドがコメントをするのです。ええ、そのようにデザインされているからです。心臓は血液を送るようにデザインされています。体は危険を避けて心地良さと安全を求めるようにデザインされています。そしてマインドはコメントをするようにデザインされています。

そして、そのいずれもが、いかなる存在によっても行われてはいません。誰も行為者を見つけた人はいません。これはある人から受け取ったすばらしい認識ですが、言ってよいかどうかわからないので名前は伏せておきます。そのシンプルなポインターがマインドを最終的に開かせるのです。

あなたが真実を見破れば、そこには何かをする誰かはいません。それは確固たることです。命が体を生きています。そのことが、あなたにそのほかの単一性のあるゆることを明らかにしてくれます。そこに誰もいなければ、そこには分離、分割、分断する人は誰もいません。そしてまた、今朝、eメールでお便りが届きました。

これも誰からかは言いませんが、理解は、あるがままを認識することからやってくるというものです。あなた(ディーン)が言ったように、変えず、修正せず、正さない。ただ、あるがまま。そして思考。思考が、私が言った、私が聞いた、私がやった、私が影響を与えたと言います。でも、それは単なる思考です。それもその一部です。

そうした思考がなければ、それは単にあるがままです。そして思考は、でも、そこには依然として「私」はまだそれを理解していない、どうしたらボブやカットのようにそれが確かなものになるのかと言います。私にはその確かさがないというのは、すべて思考です。そこには確かな人は誰もいません。確実に理解している人がそこにいると考えても、そこには誰もおらず、空です。それは単なる思考、ブルシットです。なんと明らかなことでしょう。

それがわかると、マインドが開きます。そしてその件は終わります。それは脇に置かれ、あ~あ、それは今この瞬間だ、永遠に新鮮で永遠に新しく、生きている。そして思考。私が見ている。これが私だ。私が聞いている。などなど。それです。そういうわけで、私はこの集まりの話には、それがあふれていて好きなのです。ボブが話の終りに語ったように、誰もがそれを垣間見ていて、誰もが自然な状態に生まれるのです。

誰もが、かつては言葉より先にいました。誰もが、完全に感覚器官の体験に注意を向け、物語が入ってこないで、自由な注意力が起きるような瞬間にいたのです。みんな、夢の中へと落ちて、無からどういうふうに世界がやってくるかを見るのです。ディーンが指摘したように、顕現全体、姿形、対象物は名づけられていて、マインドによって解釈されています。

目を閉じると、同じことが起こります。昨日のことを思い出すと、その中に世界全体が現れます。それは完全に意識の中にあります。意識のアウエアネス、存在の中に、世界全体が現れるのです。あなたは誰なのですか? その存在の中の想像上の生命体ですか? それとも、存在ですか? それを否定することはできません。

そしてまたコメントが来ています。ルチカ。「世界全体が、私たちの中に投影されたものであるということを理解するのはとても難しいです。そのことで何か考えを。ボブ、カットありがとう」。

カット:すばらしい考えですね。でも、注意しなくてはいけないのは、中とか外とかはないということです。なぜなら、私たちの内側に投影されたという考えもまた、投影されたものだということです。中も外も投影です。それを行っている人は誰もいません。それは単に根底にあるソフトウエアが投影して見ているにすぎないということです。昨日ミーティングをしましたが、ある友人がその投影のことを詳しく説明しました。同じ根底にあるパターン、二元性。あらゆるものの根底にあるもの。体、空、ハッブル望遠鏡、動物の行動の中、あらゆるものの中にあるもの。

白と黒、幸せと不幸はどこにでもあります。それを理解するのは難しいことです。そして、ありがたいことに、あなたはそれを理解する必要はありません。