The Mystique of Enlightenment p,56より抜粋
What makes one person come into his natural state, and not another person, I don't know. Perhaps it's written in the cells. It is acausal. It is not an act of volition on your part; you can't bring it about. There is absolutely nothing you can do. You can distrust any man who tells you how he got into this state. One thing you can be sure of is that he cannot possibly know himself, and cannot possibly communicate it to you. There is a built-in triggering mechanism in the body. If the experiencing structure of thought happens to let go, the other thing will take over in its own way. The functioning of the body will be a totally different functioning, without the interference of thought except when it is necessary to communicate with somebody. To put it in the boxing-ring phrase, you have to "throw in the towel," be totally helpless. No one can help you, and you cannot help yourself.
なぜある人にはこの自然な状態が起こり、別の人には起きないのか、私にはわからない。おそらくそれは細胞の中に記録されているのだろう。それには原因はない。それはあなたの意志によるものではない。あなたにはそれが起こせない。あなたにできることは何もない。どうしてその状態になったかを教えるという男たちを信用しないことだ。あなたの側で言える確かなことは、その男はおそらく自身のことを分かっておらず、あなたにそれを伝えることができないということだ。体には引き金となるメカニズムが備わっている。もし、思考の機能が解放されると、その他のことは自然に起こってくる。体の機能は全く違ったものとなり、思考に干渉されることはなくなり、思考は人と会話する時にだけ働く。ボクシングのリング用語で言えば、「タオルを投げる」であり、あなたはどうすることもできない。誰も助けてはくれないし、自分で助けることもできない。
なぜある人にはこの自然な状態が起こり、別の人には起きないのか、私にはわからない。おそらくそれは細胞の中に記録されているのだろう。それには原因はない。それはあなたの意志によるものではない。あなたにはそれが起こせない。あなたにできることは何もない。どうしてその状態になったかを教えるという男たちを信用しないことだ。あなたの側で言える確かなことは、その男はおそらく自身のことを分かっておらず、あなたにそれを伝えることができないということだ。体には引き金となるメカニズムが備わっている。もし、思考の機能が解放されると、その他のことは自然に起こってくる。体の機能は全く違ったものとなり、思考に干渉されることはなくなり、思考は人と会話する時にだけ働く。ボクシングのリング用語で言えば、「タオルを投げる」であり、あなたはどうすることもできない。誰も助けてはくれないし、自分で助けることもできない。
This state is not in your interest. You are only interested in continuity. You want to continue, probably on a different level, and to function in a different dimension, but you want to continue somehow. You wouldn't touch this with a barge pole. This is going to liquidate what you call "you," all of you — higher self, lower self, soul, Atman, conscious, subconscious — all of that. You come to a point, and then you say "I need time." So sadhana (inquiry and religious endeavor) comes into the picture, and you say to yourself "Tomorrow I will understand." This structure is born of time and functions in time, but does not come to an end through time. If you don't understand now, you are not going to understand tomorrow. What is there to understand? Why do you want to understand what I am saying? You can't understand what I am saying. It is an exercise in futility on your part to try to relate the description of how I am functioning to the way you are functioning. This is a thing which I cannot communicate. Nor is any communication necessary. No dialogue is possible. When the 'you' is not there, when the question is not there, what is is understanding. You are finished. You'll walk out. You will never listen to anybody describing his state or ask any questions about understanding at all.
この状態はあなたのためになるような状態ではない。あなたが興味あるのは継続性だけだ。あなたは継続性が欲しい。たぶん違ったレベルで、違った次元で機能して欲しいと思っているが、いずれにしても、継続して欲しい。あなたはこれを全く受け入れられないだろう。これは、いわゆる「あなた」を一掃してしまう。ハイヤーセルフ、ロウアーセルフ、ソウル、アートマン、意識、無意識、それらすべてを一掃する。あなたは立ち止まって「時間が必要だ」と言う。サダナ(探求と宗教的修行)を思い浮かべ、「明日は理解できるだろう」と言う。その構造は時間の中で生まれ、時間の中では機能するが、終わりがない。もしあなたが今理解できなければ、明日理解することはできない。何を理解する? なぜ私の言うことを理解したい? あなたには私の言うことは理解できない。私が機能するやり方の説明をあなたが機能するやり方と関連付けようとしても無駄だ。これは会話によって伝えることはできないものだ。どんな会話も不要だ。伝達は不可能だ。そこに「あなた」がいない時、そこに質問が無い時、そこにあるのは理解だ。あなたは終わる。あなたは立ち去るだろう。あなたは誰かが描写するその状態に耳を傾けることもないし、それを理解するために質問することもない。
この状態はあなたのためになるような状態ではない。あなたが興味あるのは継続性だけだ。あなたは継続性が欲しい。たぶん違ったレベルで、違った次元で機能して欲しいと思っているが、いずれにしても、継続して欲しい。あなたはこれを全く受け入れられないだろう。これは、いわゆる「あなた」を一掃してしまう。ハイヤーセルフ、ロウアーセルフ、ソウル、アートマン、意識、無意識、それらすべてを一掃する。あなたは立ち止まって「時間が必要だ」と言う。サダナ(探求と宗教的修行)を思い浮かべ、「明日は理解できるだろう」と言う。その構造は時間の中で生まれ、時間の中では機能するが、終わりがない。もしあなたが今理解できなければ、明日理解することはできない。何を理解する? なぜ私の言うことを理解したい? あなたには私の言うことは理解できない。私が機能するやり方の説明をあなたが機能するやり方と関連付けようとしても無駄だ。これは会話によって伝えることはできないものだ。どんな会話も不要だ。伝達は不可能だ。そこに「あなた」がいない時、そこに質問が無い時、そこにあるのは理解だ。あなたは終わる。あなたは立ち去るだろう。あなたは誰かが描写するその状態に耳を傾けることもないし、それを理解するために質問することもない。
What you are looking for does not exist. You would rather tread an enchanted ground with beatific visions of a radical transformation of that non-existent self of yours into a state of being which is conjured up by some bewitching phrases. That takes you away from your natural state — it is a movement away from yourself. To be yourself requires extraordinary intelligence. You are 'blessed' with that intelligence; nobody need give it to you, nobody can take it away from you. He who lets that express itself in its own way is a natural man.
あなたが探しているものは存在しない。あなたは、ありもしない自己が、うっとりするような言葉で描き出された存在へと劇的に変容するという至福に満ちたヴィジョンを抱いてもっと魅力的な場所を歩みたい。でもそれはあなたを、あなたの自然な状態から遠ざける。それは自分自身から遠ざける。自分自身でいるということは、途方もない知性を必要とする。あなたはその知性に "恵まれて" いる。誰もあなたにそれを与える必要はない。誰もあなたからそれを奪うことはできない。それをその人のやり方で自然に起きるに任せるのが自然な人間である。
*****
ギルバートからの返事
U.G.に起こった「爆発」「災難」をどう思うか、
declutched state(クラッチを切った状態)をどう思うか、
仏陀やその他の聖人たちに「爆発」が起こったと思うか、
という質問を、ギルバートにメールして聞いてみました。
ギルバートの答えはシンプルで明快なものでした。
----------
It is all concepts.
Who did the explosion happen to.
Recognition is sudden, instant dissolution of all attachments.
UG was radical. The podcasts I published are the best of his expressions.
The guru is only a sign post.
それは全部概念だよ。
その爆発は誰に起こったというの。
認識は突然起こり、付着物(概念)は即座に消える。
U.G.は過激だった。私のポッドキャストにあるのは、彼の言葉の中でもベストのもの。
グルは単なる道しるべにすぎないよ。
-------------
U.G.に起こったことをギルバートに聞くこと自体がナンセンスですが、ギルバートは返事をくれました。
彼は私の質問に直接答えるのではなく、原則的なことを書いてくれましたが、これは一種のお叱りであると感じました。
U.G.に何が起きようと、それは体験にすぎず、概念だということ。そこに爆発が起きる人はいない。
U.G.に何が起きようと、仏陀が何を経験しようと、それは単なる経験であり、概念。そしてそれはどこで、誰に起こったのか。
そこにはそれを経験する人は誰もおらず、概念にすぎない。
もしそのことを理解(認識)したなら、概念は全部消える。
U.G.は過激なことを言うが、それが彼のスタイル。言葉じりにとらわれてはいけない。
U.G.や仏陀やラマナ・マハリシが特別な人ではなく、単なる道しるべにすぎない。
覚醒した人などいない。本当の意味でのエンライトメントもインチキグルの至福に満ちたエンライトメントも、どちらも単なる体験であり、概念にすぎない。
ギルバートからの返事は、座禅の警策(きょうさく)のごとくに、私をピシャリと打ちました。
セイラーボブだったら、おそらくこう言うと思います。
「それは単なる自慢話。どんな体験もそれではない」
私達は、誰かが何か特別なことを体験したと言うと、ついついそれが何なのか知りたくなり、自分も欲しいと思い、挙句その人を信奉し始めます。それは大きな落とし穴。
誰に何が起きようと、何を体験しようと、それは概念にすぎません。それを概念化する「私」がいなければ、そこには何もない。
本当はギルバートの本を連載するといいのですが、著作権の問題があるのでできません。ぜひ本を読んでください。
Self Aware
Self Illumination (English Edition)
また、ギルバートのFacebookを読むことも理解の助けになります。
ギルバートの Facebook
declutched state(クラッチを切った状態)をどう思うか、
仏陀やその他の聖人たちに「爆発」が起こったと思うか、
という質問を、ギルバートにメールして聞いてみました。
ギルバートの答えはシンプルで明快なものでした。
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It is all concepts.
Who did the explosion happen to.
Recognition is sudden, instant dissolution of all attachments.
UG was radical. The podcasts I published are the best of his expressions.
The guru is only a sign post.
それは全部概念だよ。
その爆発は誰に起こったというの。
認識は突然起こり、付着物(概念)は即座に消える。
U.G.は過激だった。私のポッドキャストにあるのは、彼の言葉の中でもベストのもの。
グルは単なる道しるべにすぎないよ。
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U.G.に起こったことをギルバートに聞くこと自体がナンセンスですが、ギルバートは返事をくれました。
彼は私の質問に直接答えるのではなく、原則的なことを書いてくれましたが、これは一種のお叱りであると感じました。
U.G.に何が起きようと、それは体験にすぎず、概念だということ。そこに爆発が起きる人はいない。
U.G.に何が起きようと、仏陀が何を経験しようと、それは単なる経験であり、概念。そしてそれはどこで、誰に起こったのか。
そこにはそれを経験する人は誰もおらず、概念にすぎない。
もしそのことを理解(認識)したなら、概念は全部消える。
U.G.は過激なことを言うが、それが彼のスタイル。言葉じりにとらわれてはいけない。
U.G.や仏陀やラマナ・マハリシが特別な人ではなく、単なる道しるべにすぎない。
覚醒した人などいない。本当の意味でのエンライトメントもインチキグルの至福に満ちたエンライトメントも、どちらも単なる体験であり、概念にすぎない。
ギルバートからの返事は、座禅の警策(きょうさく)のごとくに、私をピシャリと打ちました。
セイラーボブだったら、おそらくこう言うと思います。
「それは単なる自慢話。どんな体験もそれではない」
私達は、誰かが何か特別なことを体験したと言うと、ついついそれが何なのか知りたくなり、自分も欲しいと思い、挙句その人を信奉し始めます。それは大きな落とし穴。
誰に何が起きようと、何を体験しようと、それは概念にすぎません。それを概念化する「私」がいなければ、そこには何もない。
本当はギルバートの本を連載するといいのですが、著作権の問題があるのでできません。ぜひ本を読んでください。
Self Aware
Self Illumination (English Edition)
また、ギルバートのFacebookを読むことも理解の助けになります。
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