2019/12/14
誰に向かって調べるようにと言っているのでしょうか。
Who are we telling to investigate?
偏在、全能、全知と言う時、完全な存在、完全な力、完全な知性のことを言っています。
それは三つのものではなく、一つのものの三つの側面を意味していて、その完全性の他には何もありません。
もしあなたが、それを得ようとしたり、何かを得ようとしたりすると、あなたは、神と私という考えや概念を持つことになります。
そしてもし自分が何かをすれば、一つのものになれるだろうと考えます。
はっきりと明確に言われていることは、非二元の中には二元性はないということです。
それでも私たちは、周りに現れる二元性を見ています。
自然や世界の顕現、そしてあなたの内側、すべては常に二元的に現れています。
夜無くして昼はありません。静寂なくして音はありません。
二元的に現れなければ、何も顕現として現れることはありません。
それは何に現れているのでしょうか。
それは、分離した「私」に現れているのではないですか。
「私」であると信じている分離した存在に現れているのではないですか。
「私」はそれもまた顕現であるということを理解しません。
顕現は、そのように見えているにすぎません。
何がなされるべきでしょうか。
そしてそれができるのは誰でしょうか。
調べてみてください。
あなたは、もうすでにそれなのだというところから始めてください。
それ以外ではありえません。
その観点から調べるというのは、誰に対して調べるようにと言っているのでしょうか。
他の誰かにではありません。
調べることは、自然に努力なく、なされなければなりません。
あたかも太陽が輝くように、地球が太陽の周りを回るように、季節がやってきては去っていくように。すべての顕現が現れるように、それは現れ、起こっています。
それ自身が顕現であるということを再認識する必要があります。
すべてが顕現であり、それ以外のものではありません。
本質(エッセンス)がすべてとなって現れています。
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お知らせ
ミーティングの動画の配信は、ミーティングの参加者が8人以上いないと、配信しないことになったそうです。ミーティングに来ないで動画を見て終わらせる人が増えたのですが、セイラーボブは出来れば直接みんなに来てもらって直に話しかけたいからだそうです。