私はそれほど日本の方によって書かれた非二元の本やブログを読んでいるわけではないのですが、どんなことを言っているんだろうと思って立ち読みしたりネット上で人のブログを読んだりすることはあります。そして思うのですが、日本での非二元の教えの広がり方は欧米と少し違うのではないかという気がします。
日本で非二元を教えてみえる方もたくさんみえるのですが、その多くが一瞥体験から始まります。「私は一瞥体験した」「あれは一瞥体験だったに違いない」「私はそこにいなかった」「とても幸せな状態が続いた」などなど。そして、そのあと「あなたはいない」「私はいない」というフレーズが続き、非二元にまつわるよもやま話が語られます。
でも肝心の非二元の教えや非二元論について語られることはなく、「とにかく私の個人セッションを受けてみてください」となります。そして個人セッションを受けた人たちの「とっても良かった」「悩みがなくなった」という感想が続きます。非二元を教えてもらったのではく、悩み事を聞いてもらっただけではないかという感想ばかり。
非二元とかノンデュアリティという言葉はもともと日本にあった言葉ではなく、欧米から輸入されたものです。そうであるならば、少なくともそれを有料で教える人はその教えを誰から、あるいは何から学んだかを明示すべきです。そして、何を教えているかも説明すべきです。でも、その二つをちゃんと説明している人はほとんどいないように思います。
これではまるで、どこから仕入れたかわからない怪しげなものを中身も見せないでパッケージだけ見せて売っているようなものです。しかもそれが結構高額なのには驚きます。
非二元の教えは、突然起こるエンライトメントや一瞥体験のことを教えているのではありません。非二元の教えは師から生徒へと脈々と教え伝えられてきた教えです。セイラーボブの師はニサルガダッタ・マハラジで、ニサルガダッタ・マハラジの師はシッダラメシュヴァール・マハラジです。ルパート・スパイラの師はフランシス・ルシールで、その師はジャン・クラインです。そうやって師から生徒へと教え伝えられてきたものです。
非二元の教師として有料で人に非二元を教えるなら、ちゃんとした海外の師について学び、自分の師は誰であるのか明示すべきです。私がこのブログに登場させた海外の教師たちの多くはそうしています。そうすることでその人が教えていることの信頼性が担保されます。また、彼らは教えの内容を本やYouTubeで一般に公開しています。その上で熱意と情熱をもって人に教えていて、無料もしくはそれほど高額のお金を取りません。ニサルガダッタ・マハラジやラメッシ・バルセカールは無料で教えていたと聞きました。
非二元そのものは私のサイトでも学ぶことができます。でも、非二元の教師となって人に教えるとなると話は違います。ちゃんとした師について深く学び、その師が実際にどう生きているのかを目の当たりにしなくてはいけません。
百歩譲って、日本で誰か海外の教師の本を読んで非二元を学んだというのもありです。その場合には具体的にその本を明示すべきです。そうすれば生徒はその本を読んだうえで疑問点を聞くことができます。
海外の非二元の教師たちは自らの一瞥体験を語る人はほとんどいないように思います。まれには語る人もいますが、それはあくまでも理解の瞬間のことを言っているにすぎません。またセイラーボブのミーティングの参加者で一瞥体験を語る人はいませんでした。
これは私の勝手な想像ですが、日本で非二元の教えが広まる初期の段階で、誰か一足先に非二元の教師となった人が一瞥体験について語り、それを多くの人が真似て日本独特の非二元の教えが広がっていったのではないかと思っています。というのも、海外の非二元の教師たちは様々な説き方をするのに、日本で非二元を教えている人はほとんどワンパターンで、判で押したかのように一瞥体験から始まり、あとは「私はいない」の繰り返しです。その背景として仏教の影響からくる悟り、覚醒を信じている土壌が日本にはあったからかもしれません。
でも最大の原因は、日本語で手に入る非二元の情報が圧倒的に少ないということです。私がセイラーボブの「ただそれだけ」を読んだのは2014年ですが、その時点では日本で非二元について翻訳出版されていた本はほとんどなかったのではないかと思います。もちろん古典的なアドヴァイタの本やラマナ・マハルシ、ニサルガダッタ・マハラジ、ダグラス・ハーディングなどの本はありましたが、「非二元」という分類では語られておらず、「非二元」という言葉を使う現代の非二元の教師たち(いわゆるネオ・アドヴァイタやダイレクトパス)の本が続々と翻訳され始めたのはそれ以降のことではないでしょうか。
そうした本が次々と翻訳出版されても、多くの人は彼らを覚醒した人たちだと思っていて、古くからのエンライトメントを説く教師たちと同列に見なしていました。翻訳された本をいくら真剣に読んでも非二元の理解はおぼつきません。そうなると、誰か先に非二元を広めた人の言っていることを鵜呑みにしてコピーするため、それが広まることになります。一瞥体験をすることが非二元を理解することの通行手形のようになって広まっていますが、一瞥体験と非二元は何の関係もありません。非二元の教えは何かを体験することや何かになることではないのです。
日本語で入手できる非二元の情報は限られます。でも、もし英語で非二元の情報を入手しようと思えば圧倒的に多くの情報が手に入ります。英語で出版された非二元の本はたくさんあるし、ネット上にもたくさんの情報があります。例えばルパート・スパイラを例に出すと、日本語に翻訳されたルパート・スパイラの本は3冊(プレゼンス1巻・2巻と気づいていることに気づいている)しかありませんが、英語版なら30冊以上あり、YouTubeには1000本以上の動画があります。有料になりますが、ルパートのサイトにはそれ以上の動画があります。
プレゼンス1巻・2巻を読んでも、ルパートがYouTubeで何度も語っている意識の局在化や時間の不存在、物の不実在のような、彼の教えの核となるような記述は出てきません。私はブログに掲載する動画を選ぶためにかなりの量のルパートのYouTubeを見ました。「プレゼンス」も読みましたし、彼のサイトやネット上の情報も読みました。それでもよくわからなくてギルバートとカリヤニに質問しました。そこまでやっても、彼の教えを完全に理解しているわけではありません。
日本語の彼の本を読んだだけで彼の教えの全体を理解するなんて全く不可能です。そうなると、足りない部分はありきたりの情報を付け足して勝手に想像することになります。それではルパート・スパイラの教えを理解したことになりません。非二元の説き方は人それぞれで同じではないのです。勝手に想像するのは危険です。
セイラーボブの教えている非二元も、Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob Adamson (English Edition)
やWhat's Wrong With Right Now?(ギルバート・シュルツ編纂 講話集)
などの英語本を読めばもっとよく理解できます。セイラーボブの教えを人に教えようと思うなら、ボブの英語版の本を読むことや、ミーティングのYouTubeを見ることは必須となります。
英語なら正しい情報も怪しい情報も入手することができて、怪しい情報は淘汰されていきます。日本語だけで非二元を完全に理解しようとしても無理です。誰か先に理解した人の説明を鵜呑みにするしかありません。この状況は今もそれほど変わっていなくて、日本語に翻訳された本の数は限られているし、日本語でネット上で非二元を検索しても、その大半が「私はいない」ばかり繰り返す怪しげなサイトしか出てきません。
以前は覚醒、エンライトメントを探していたので、スピリチュアル系のブログやサイトを見ていた時期もあります。でも、そうしたサイトの中に、いつしか「非二元」や「私はいない」という言葉が登場して、いつのまにか非二元を語っている人もいます。でも内容は全然非二元論になっていなくて、「あなたの運命は事前に決まっている」と運命論を語ってみたり、「あの世の話」までしたりする人もいます。
非二元の教えは決してすべてがうまくいくというような教えではないのに、生活が思いのまま自然に起こってくるようになるとか、いつも幸せでいられるといった、非二元の本質とは全然関係のないスピリチュアルの話が非二元の教えであるかのように広まっています。
こうした日本での非二元の伝わり方に違和感を持つのは私だけだろうかと思っていたのですが、ルパート・スパイラのことをあれこれ調べているうちに同じようなことを思っている人を見つけました。