「私」が実在ではないということを理解して、それならもっとやりたいことをやって自由に生きようとする人もいるでしょうし、以前にも増して成功や願望実現へ向けて精を出す人もいるでしょう。精神的な問題や悩みが無ければ、成功する確率は高くなるかしれません。
私も精神的には随分と楽になりました。それで私の生き方が変わったかというと、非二元を学んだから生き方が変わったということはないように思います。すべては起こってくることだと思うと、何かをどうかしようという思いもあまりおこりません。その影響もあると思うのですが、佐々木閑先生の教える仏教を学んで多いに納得することがありました。そして今は、できるだけ「欲望や願望を追及しない生き方」をしようと思っています。
年齢的にもこれから世に出て何かをしようという年齢ではないし、どうしても何かが欲しいという願望もありません。もっと英語が上手になりたいとか、もう少しビビらないようになりたいとかいうささやかな願望はありますが、大したことではありません。とりあえず食べるものがあって、その上健康ならありがたいなと思う程度です。
もともと多少ドロップアウト気味に生きてきたこともあって、佐々木閑先生の説く仏教には随分と救われました。もちろん、「欲望や願望を追及しない生き方」の人が増えてしまっては、経済も社会もうまくいかなくなってしまうので、そういう生き方は社会では息苦しさを感じる少数の人に限定されるべきものなのでしょう。できるだけ人や社会に迷惑をかけないようにして、「欲望や願望を追及しない生き方」をしていこうと思っています。
「人並みに」とか、「人と同じように」生きなくてもいいんだよ、というお許しをもらった気がして救われた気持ちです。どうせある意味でヴァーチャルな世界に生きているんだから、自分の思うように生きればいいのだと思います。
佐々木閑先生はたびたび「欲望や願望を追及しない生き方」(佐々木先生の使われる表現とは多少違うかもしれませんが同じ意味だと思います)が仏教の目指すところだと語ってみえます。私には、それが幸福をもたらす鍵のような気がしてなりません。
参考:出家的に生きるために
佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その33」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)