2024/04/30

生(livingness)が今この身体の中で脈動し鼓動しています

生(livingness)が今この身体の中で脈動し鼓動しています。何の努力もなく。
生は思考さえも引き起こしています。というのも、エネルギーは出口を見つけなくてはいけないからです。
生はあなたが世界を見る光となってあなたの目を輝かせています。
あなたは見るためにどんな努力をしましたか?
あなたの目を輝かせるためにどんな努力をしましたか?
聞くためには? 考えるためには? あなたはどんな努力もしていません。
                                    セイラーボブ

2024/04/26

それが習慣のパターンだと見抜いたなら

「私」という狭い視点から見るのでなく、全体性から見ると、物事に対処するのは簡単になるはずです。
すると何が起こるでしょうか? 誰にもわかりません。
ひとたび古い習慣のパターンを見破ったなら、それが習慣のパターンだと見抜いたなら、そこにはもはや以前のような強烈さはありません。
                                     セラーボブ

2024/04/23

非二元の教師たちのYouTube

非二元の教師たちのYouTubeの登録者数を調べてみました(数字は4月20日時点)。








登録者数からみると、一番人気はルパート・スパイラです。しかも私の観察では以前見た時よりもかなり数字が伸びています。セイラーボブはたったの3790人。横這い。それぞれのYouTubeチャンネルの作り方も違うし、更新頻度、動画の数の違いもあるので、一概に登録者数が人気を反映しているとは言えませんが、ルパート・スパイラが人気なのはうなずけます。

それにしても、トップのルパート・スパイラですら45万人です。非二元という分野の人気のなさを物語っています。世界中で、これだけの人しか見ていない。そう考えると、佐々木閑先生と横田老師は日本だけでこれだけ登録者がある。

佐々木閑先生 1.63万人


某全米人気ナンバーワン教師のYouTubeチャンネルは200万人近い登録者がいてびっくり。しかもしっかり広告入り。スピリチュアルのチャンネルに広告を入れるんじゃない! あ、入れてもいいです。別にいかんことはない。でも儲かるやろうなぁ。

2024/04/19

非二元の教師たち・まとめ

昨年10月にカリヤニと話をしてから、セイラーボブ以外の非二元の教師の本も読んでみようと思い、何冊かの本をまとめ買いしました。途中、さらに読みたくなって二冊追加。全部の本の感想をブログに書き終えたので、そのまとめを書きます。

取り上げた本(バイロン・ケイティは非二元の教師ではないのでここでは載せません)

「ザ・グレイテストシークレット」 ロンダバーン

「プレゼンス 1プレゼンス2」 ルパート・スパイラ 

「生まれながらの自由」 ジャック・オキーフ

「今、永遠であること」 フランシス・ルシール

「気づきの扉」 ティモシー・フリーク

「つかめないもの」 ジョーン・トリフソン

「夢へと目覚める」 レオ・ハートン

「気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?―ダイレクトパスの基本と対話」 グレッグ・グッド

「すでに目覚めている」 ネイサン・ギル

「何でもないものが あらゆるものである - 無、存在、すべて」 トニー・パーソンズ

「もっとも深いところで、すでに受け容れられている―普段の生活の中で根本的に目覚める」 ジェフ・フォスター




「どの本が良かったの?」という質問が届きそうなので、書いておきます。選定基準は、読みやすく・わかりやすく・読んで楽しかったもので選びました。
この四冊がとても良かったです。

私が非二元を学んだのはセイラーボブからです。その影響で私は、細かく説明するのではなく、断定的に、「あなたは思考でも身体でもない。あなたは意識だ。以上終わり」というタイプの教師が好きです。この四冊は語り口がボブに似ていて、とてもわかりやすかった。

もちろん、他の本がよくないという意味ではありません。他の本もそれぞれすばらしかった。たとえば、私は非二元の教師が何を教えているのかよく知らないから基本的なことが知りたいという人には、「気づきの扉」 ティモシー・フリーク「ザ・グレイテストシークレット」 ロンダバーンが良いと思います。

また、理解や気づきの過程・方法をもっと詳しく知りたい人には、「われ在り I AM」ジャン・クライン「今、永遠であること」 フランシス・ルシール「プレゼンス 1プレゼンス2」 ルパート・スパイラ が良いと思います。少し手ごわいけど。また、エクササイズを通して学びたいという人には、「気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?―ダイレクトパスの基本と対話」 グレッグ・グッド。そして、高木悠鼓さんのYouTube ダグラス・ハーディングのワークショップもわかりやすいです。


ここに掲載した非二元の教師たちは何を言っているのか、その共通点は何なのか。まず第一に、ここに掲載した教師たちのうち誰一人として、「私はエンライトメントした」あるいは、「私は覚醒した」と言っている人はいません。ここで言うエンライトメント、覚醒とは、ある時何かが起こって至福に包まれたとか、光に包まれる体験が起こって意識に変容が起こり、もう悩みが起きない、といったたぐいの体験のことです。

つまり、彼らの教えていることは、エンライトメントや覚醒ではないということです。本の中では、「覚醒」、「目覚め」という言葉が出てくるものもありますが、それはあくまでも「理解した」「気づいた」「実感した」という意味であり、原語としては awake もしくは awakening のはずです。多くの人が、非二元の教師たちは覚醒した人たちであり、私たちとは違う意識の状態にあると思っています。でも、そうではないのです。彼らも私たちと何も変わらない普通の意識の人たちです。

非二元の教えを理解したら、意識の変容が起こるとか、特別な体験をするということはありません。なぜなら、彼らが教えていることは、何かになることや、何かを体験することではないからです。もし彼らが私たちとは違う覚醒した人たちだという先入観を抱いて彼らの本を読むと、彼らの言う事がさっぱり理解できなくなります。なぜなら、本の中には探しているようなエンライトメントや覚醒はないからです。

また、一瞥体験について語っている教師もほとんどいません。例外的にネイサン・ギルは一瞥体験について語っていますが、あとになって、それは非二元とは関係ないと否定しています。時々、一瞥体験について語っている人を本やブログで見かけますが、私たちが非二元の世界を一瞥することはありません。「私はそこにいなかった」というのが一瞥体験の常套句ですが、ではどうしてそこに私はいなかったことを覚えているのですか? もし私がいなかったのなら、私がいないのを覚えているのは誰なのですか? 

彼らが教えているのは何なのか。それは本質としての「私」のこと。彼らはそれを様々な言葉で形容します。意識、純粋意識、アウエアネス、空間、生、気づき、真我、それ。教師によってまちまちですが、みんな同じもののことを指しています。そして、本質としての「私」は思考でも身体でもないというのが非二元の教えの核です。

何人かの教師は、意識と純粋意識を分けています。思考や五感などを意識と言い、その背後にあるものを純粋意識と言っています。純粋意識とは、夢さえ見ないような深い眠りの状態にあるような意識のことだという人もいます。深い眠りの意識の状態を、眠りから覚めて思い出すことができないように、私たちはその純粋意識を認識することはできないと言います。

でも、私はこの純粋意識と意識という区分けが好きではありません。セイラーボブのように、そんな区分けをせずに、意識とだけ言う教師もいます。私にはそっちの方がわかりやすい。単純に思考の背後にある意識でいいと思います。でも、その意識とは何なのかと聞かれても説明できる人はいないのではないでしょうか。

それぞれの教師は、それが何なのかを本の中で説明しようとします。あなたはもともとそれであるというのがほとんどの教師の語るところですが、それを理解する方法については、教師によってまちまちです。エクササイズ・実験を使う人、問いかけをする人、対話形式の人。説明だけの人。

そして、その理解の起こり方の説明は教師によってまちまちです。あなたはもともとそれだ、以上終わり、という教師もいれば、それは簡単なことではない、時間はかかる、という教師もいます。私は前者のタイプの教師が好きです。でも、それは個人の好みの問題だと思います。私の場合、「言っていることはわかるけど、確信がない」という状態が長く続いて、ある時絶対的な確信が起こったので、どちらかといえば後者のような理解の仕方だったかもしれません。

そして、非二元の教えを理解すると、どんな良いことがあるのか。彼らがアウエアネス・意識・気づき・空間と呼ぶものを至福と表現する人もいれば、愛と言う人もいます。気楽になるという人もいます。それはそれぞれ個人が自分で体験して感じるものだと思います。そして非二元の教師たちが最終的に目指すところは、人々を精神的な苦悩から解放することです。苦しみや悩みは思考の産物にすぎず、実体のないものであるということを心底理解することこそが、彼らが教えていることではないでしょうか。

私は「エンライトメントある派」の教師を支持しません。もともと私が取り上げた教師たちはギルバートのサイト(The Urban Guru Cafe)からリストアップした人を、古閑博丈さんのブログ高木悠鼓さんのブログを参考にして、日本語で読める本を選んで買ったものです。ギルバートは非二元をよく理解しているし、非二元の教師たちの良し悪しにも精通しています。その多くには実際にインタビューをしています。私が取り上げた非二元の教師たちは、みな信頼に足る教師たちです。非二元関連の本は、残念ながらその多くがすぐに絶版になってしまいます。なるべく上質な教師の本に触れておきたいものです。

2024/04/16

あなたは純粋で静かな澄みきった気づきの空間

あなたは純粋で静かな
澄みきった気づきの空間

そこには誕生も
行為も
「私」もない

あなたは一なるもの
変化も死もありえない
                            アシュターヴァクラ・ギーター

2024/04/12

あなたは一なるもの

あなたは一なるもの
純粋な気づきだ
それを知りなさい

この確信の炎で
無知の森林を焼き尽くしなさい

悲しみからあなた自身を解き放ち
幸せでありなさい!
                           アシュターヴァクラ・ギーター

2024/04/09

アシュターヴァクラ・ギーター

Ashtavakra Gita アシュターヴァクラ・ギーター  トーマス・バイロン(著) 福間巌(訳)


レオ・ハートンの「夢へと目覚める」の中に「アシュターヴァクラ・ギーター 」からの引用文がいくつかあって、それがとても良かったので、この本を読むことにしました。

********* 以下はAmazonのサイトから ****

Amazonの本の説明
誰によって、いつ書かれたかは定かではないが
時を経て愛され、読みつがれてきたアシュターヴァクラ・ギーター
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)の教えの神髄をシンプルに表したもっとも純粋な聖典。
ラマナ・マハルシ、ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダ、ニーム・カロリ・ババ・・・古来より、インドの聖賢すべてに愛され、賛嘆され、語り継がれてきた真我探求のための聖典。

あなたは、純粋な気づき
すべてのものごとを見守る観照者なのだ
世界はただの幻にすぎない

放棄することを放棄しなさい!
何も拒んではならないし、何も受け入れてはならない
静かにありなさい。だが、何よりも幸せでありなさい。
ただものごとをあるがままに知ることで、
あなたは自己を見いだすだろう

インドの霊性の歴史は、意識の源泉を探求し続け、自己の本性である真我を実現するに至った偉大なる覚者を数知れず生み出してきた。
彼らが確立した数多くの教義のなかでも、現在もっとも勢力をもち、広く行きわたっている教えがアドヴァイタ・ヴェーダーンタである。
ヴェーダーンタは世界最古の聖典『ヴェーダ』の最後に表された『ウパニシャッド』の教えを基本とした宗教哲学であり、その一学派であるアドヴァイタは「不二一元論」と呼ばれ、宇宙の根本原理ブラフマンと自己の本質アートマンの同一性を主要な教義としている。幾世紀にもわたって受け継がれてきたこの教えは、インドを代表する2人の偉大な聖者ラーマクリシュナ・パラマハンサとラマナ・マハルシの弟子たちによって広く紹介されて世界中に浸透し、21世紀に入り、急速な広まりを見せている。

山に籠もることや宗教組織に加わること、剃髪して僧衣に着替えることでなく、オフィスや学校で、あるいは電車の中で、各個人が日常生活において誰にも知られないで静かに内面に向かい、「私」という想念が湧き起こる自己存在の源にとどまることで真我に至ることができるという革新的な教えである。

著者について
英訳者:英国生まれ。オックスフォード大学のベリオール・カレッジ、ハーバード大学にて博士号取得。ハーバード大学で歴史学と文学を、オックスフォード大学のエクセター・カレッジ、セント・キャサリンズ・カレッジで英文学、古代および中世英語学の教鞭を執る。76年、米国に移住。ニーム・カロリ・ババの弟子である米国の霊的教師マ・ジャヤ・サティ・バーガヴァティーの弟子となり、フロリダのカシ・ファウンデーション会長を務める。その後、マ・ジャヤ・リヴァー学校を創設。91年にその生涯を閉じるまで校長を務める。著書に、『ブッダの語る覚醒への光の道―原始仏典「ダンマパダ」現代語全訳』(三雅出版)がある。

翻訳者
1960年、山口県萩市生まれ。74年より北鎌倉臨済宗円覚寺にて参禅。79年、インドにてラマナ・マハルシの教えに出あう。玉川学園大学英米文学科卒業。スリランカ、インドの仏教僧院にて瞑想を修する。92年まで米豪欧にてデザインの仕事、ドイツ他にて瞑想指導に従事。長年インドに滞在し、多くの聖賢に出会う。訳書に『アイ・アム・ザット 私は在る』『あるがままに』『ラマナ・マハルシの伝記』『覚醒の炎』(以上、ナチュラルスピリット)他がある。

********* 以上Amazonのサイトから ****

この本は古今東西、アドヴァイタを学ぶ人たちによって広く読まれてきた聖典のようです。わかりやすい言葉で書かれていて、読みやすいです。内容は非二元そのもの。

原文の英文が同じかどうかはわかりませんが、「夢へと目覚める」にある古閑博丈さんの訳とあわせて紹介させていただきます。太字がこの本の福間巌さんの訳、普通の字が古閑さんの訳です。

11-6
私は身体ではない
身体は私ではない
私は気づきそのもの

私は身体ではなく、
身体は私ではない。
私は意識そのものだ。

15-9
身体はその本来の性質に縛られている
それは現れ
しばらくの間、生きながらえ
消え去る
だが、真我は来ることもさることもない
ならば、なぜ身体について嘆くのか?

身体は縛り付けられている
その本来の特性によって。
それはやって来て、しばし留まり、行ってしまう。
だが真の自己はやって来ることも行ってしまうこともない。
なのになぜ身体のことで嘆き悲しむのか。

2-20
身体とその恐れ
天国と地獄、自由と束縛
すべてはただの作り話
気づきそのものである私に
何の関わりがあるというのか?

身体はまやかしであり、
それが感じる恐れもまやかしだ。
天国と地獄、自由と束縛。
すべてが作り話だ。
どうして私がそんなことを気にかけようか。
私は意識そのものなのだ。

1-14
わが子よ、
自分は身体だと考えるために
あなたは長い間束縛されてきた
あなたは純粋な気づきだと知りなさい
この知識をあなたの剣として
鎖を断ち切るのだ
そして幸せでありなさい!

自分は身体だと思っているせいで、
長いあいだお前は縛られてきた。
自分は純粋意識だと知れ。
この知識を剣として
鎖を断ち切れ。
そして幸福であれ!

*****

「幸せでありなさい」という言葉がいいですね。

まだまだ良い言葉がたくさんあるのですが、あまり引用するとしかられのでこれだけにします。こんなにわかりやすく非二元の本質を教えている聖典があるとは知りませんでした。この本は、繰り返し繰り返し「私」が何であるかを教えてくれています。内容は、英訳者のまえがきがあって、詩文形式の聖典が続き、最後に翻訳者のあとがきがあります。

聖典の部分は、読もうと思えば半日もかからない長さで、しかもわかりやすい言葉で書かれています。手元に置いて、何度も読みたくなる内容です。ぜひ読まれることをおすすめします。福間さんのあとがきに良い言葉があるのですが、あまり引用するとしかられので、ぜひご自分で手に取って読んでください。

2024/04/06

佐々木閑 仏教講義 10「ミリンダの問い その20」(「仏教哲学の世界観」第13シリーズ)


仏教は無我の教えです。つまり、私(我)はいない(無)のです。では何が輪廻するのか? この説明はまったくよくできていると思います。

4月8日追記 ナーマ・ルーパとは
この話はまったく非二元の話です。私とは、肉体、心的要素、そして外界も含めたものだという説明には驚きました。

2024/04/05

ただ生だけがある

何よりもまず、誰も生きてはいない、ただ生だけがあるだけだということを認識してください。生きている個人というのは間違った思い込みです。
                           ジャン・クライン(われ在り I AM

4月1日 近所のジョギングコースにて。   ムスカリが咲くと春が来たなと感じます。

2024/04/02

意識の外には何もありません

意識の外には何もありません。宇宙も、あなたの個人的な「私」も、すべて意識の中に現れます。
                         ジャン・クライン(われ在り I AM

3月30日 恵那市大井町にて。他はまだ咲いてないのに、この木は満開でした。