2025/11/08

非二元論入門  ルパート・スパイラ

An Introduction to Non-Duality
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの翻訳はどういう仕組みなのか知りませんが、字幕と音声は別の翻訳になっていて、字幕より音声の方が誤訳が少ない印象です。この動画は音声の翻訳がかなり自然なので、日本語音声がお勧めです。

YouTubeの解説(Google翻訳)

ルパート・スパイラによる非二元論入門。
非二元論は、人生におけるあらゆるものは、分離して区別されているのではなく、繋がり、一つの全体の一部であると説明しています。非二元論は、私たちが世界を「私」と「あなた」、あるいは「思考」と「現実」といった別々のものに分割して捉える従来の見方を超越する、無限に偉大な現実、すなわち一つの統一された全体性が存在することを示唆しています。
この理解を追求する中で、私たちは必然的に、誰もが常に切望してきた平和と幸福は、すでに私たちの存在の本質であり、私たちはこの存在をすべての人、すべてのものと共有していることに気づくでしょう。

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ルパートのYouTubeは、時系列や再生回数は気にせずに、私が見ていいなと思うものを掲載してきました。これからもそうするつもりですが、そのために、このような入門というタイトルの動画を今さらながら掲載しています。すいません。
ルパートは非二元を学ぶことの目的は幸福の実現であり、そのために為すべきことは自己の本質を知ることだと言っています。非二元を学ぶ目的は幸福の実現(あなたの本質はもともと幸福である)にあるというルパートの言い方が好きです。前向きで希望を持たせてくれます。
この動画を最初に掲載すればよかったのですが、見つけたのが最近なので、遅まきながら今掲載させていただきます。

2025/11/06

その知る働きは今ここにあります

ボブ:そこには知ること、純粋な知る働きがあります。それは他には何もない一つのものです。

質問者:それを知っても卒業証書はもらえません。つまり、そういう理解が起こったということです。でも、「今、あなたは知っています!」と誰かに認めて欲しいのです。

ボブ:ええ。今、あなたは理解したと言いました。今、あなたは知っています。まだ理解できないことがあるでしょうか? 例えばあなたは、これを知っている、あれを知っている、という思い込みがあります。知っていることに何かラベルを貼っています。でも、今あなたは知っています。その知る働きは今ここにあります。ただ純粋な知る働き。それに何かを加える必要はありません。何かを取り除く必要もありません。それを確かめることができたのではないでしょうか?

質問者:何かを知っていなければならないという考えを捨てればそうなります。

ボブ:ええ、では、何かを知っていなければならないという考えを捨ててください! 捨ててしまいなさい!あなたは知る働きを知る者と知る対象へと分割します。「私はこれを知らなければならない」と。あなたは知る働きを主観と客観に分割しました。その知る働きを否定することはできません。それで確認できたということです。それだけです。そして私たちは「ああ、でも!」と言います。「でも」に踏み込んだとき、あなたは遍在性から遠ざかっています。

2025/11/04

実在は在る。しかし「そこには世界」は存在しない。  ルパート・スパイラ

There Is a Reality, but No World ‘Out There’     Rupert Spira
歯車マーク→音声トラック→日本語、もしくは自動翻訳(字幕)で見ると、日本語で見ることができます。

YouTubeの解説から(Google翻訳)

現実とは何か?世界は実在するのか?そして、なぜ無限の存在はそれを経験できないのか?もしかしたら、経験できるかもしれないが、私たちには理解できない方法で経験しているだけなのだろうか?

ルパートはこう言います。「世界には何か現実的なものがある。しかし、それは見た目通りではない。現実には、存在するのは無限で意識のある存在だけである。つまり、私たちが今見ているのは無限の存在だが、有限の心はそれを自身の限界と一致する形で認識している。だから、私たちがそれを見るとき、世界を見るが、「そこに」世界は存在しない。少なくとも、思考によって通常考えられているような形では。

「無限はそれ自体では客観的な経験を持たないが、意識のある存在であるため、存在の経験を知っている。だからこそ、至高の教えは、真に存在するすべてである現実には、創造も破壊も存在も外見もないと説くのだ。」

「もし私たちの経験が心を通してのみ知られるものならば、私たちは現実の本質を知ることはできないでしょう。しかし、有限の心を介さない経験が一つあります。それは、存在への意識です。ですから、私たちが現実の本質にアクセスできる唯一の方法は、存在への意識を経験することです。」

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この話はとても難しいです。なぜ私たちが意識が何なのかを知ることができないかを説明しています。オレンジ色の眼鏡を通して見ると、白い雪を見ることはできない。役者のジョン・スミスはリア王を演じているが、リア王はジョン・スミスを認識しない(この例えはなかなか良いです。役者は自分がどんな役を演じているのか知って演じているが、物語の登場人物は自分が誰かによって演じられていることを知らない)。コウモリなどの動物は別の世界を見ている(これはボブも使う例え)。目が目を見る事はできない。こうした例え話を使いながら、なぜ私たちは無限のもの(ここではアウエアネスとは言わずにこう言っている)を認識することができないのかを説明しています。そして私たちが見ている世界は個人というものに閉じ込められた意識が見ている世界であり、それを現実だと思っているが、そうではないということを言っています。