2026/01/22

「私」とは何か。様々な説明。

私はこのブログにいろんな人や教えが語る「私」とは何かを書いてきました。そこで、それぞれ人が「私」をどう説明して、なぜ「私」はいないのかを勝手にまとめてみたいと思います。

セイラーボブは「私」とは海の中に現れた一つの波のようなもので、一つ波は自分が独立したものだと考えているが、波は海の一部であり、独立したものではないと教えます。「私」とはマインドなのか体なのか、その始まりはどこにあるのか、自分で調べてみなさい、それは一種のエネルギー現象であり、実体のある「私」はどこにもない、「私」とは過去の記憶や条件付けにすぎないと教えます。

原始仏教では、「私」とは五蘊のかたまりであり、そこには永遠不滅の魂のようなものはないと教えます。

唯識では、「私」には実体がないが、個人それぞれが別の世界を見ていて、阿頼耶識でつながっていると説いています。

そしてルパート・スパイラは全体の「意識」が局在化したものが「私」であり、もともと個人は存在しないと説明します。また、パリの街を歩く「私」をカリホルニアのベッドの中で夢に見ているようなものだとも話します。

そして、「科学的アプローチ」のところで書いたように、現代の脳科学では「私」は実在しないと言っています。

どの説明も魅力的で説得力があるのですが、どの説明も実験的に立証する方法や科学的な証拠はなく、理解はあくまでも直観的、感覚的な理解に留まります。ましてやエンライトメントのようなことが起こって、ある日突然理解が拓けるとか、そういう世界を見るなんてことは起こりません。

私としては、どの説明でもいいと思います。「私」はいないと納得すればいいだけの話ではないかと思います。肉体を離れてそれを確かめた人は誰もいません。どう考えても「私」はいないとしか思えないというのが私の結論です。もし、直観的に非二元の教えが真実だと感じているのに、まだ「私」がいないとは思えないのなら、さらに深く非二元の教えを学べばいいのだと思います。

そしてまた、(そんなものかな、あんまりよくわからない)でも全くOKだと思います。非二元の教えの大切なところは、悩みや問題は思考の産物であり実体がないというところにあると思います。そういう意味において幸福になること、悩みから解放されることが目的であり、世界が幻だとか、「私」はいないということは、いくら突き詰めても立証できないことだと思います。

2026/01/20

あなたは時間や空間の中にはいない  ルパートスパイラ

You Are Not Located in Time and Space
日本語で聞くことができます(⚙️歯車マーク→音声トラック→日本語)。

YouTubeの解説(Google翻訳)

どのようにして時空を超えて存在することが可能なのでしょうか?意識が感覚を超えて存在するという考えを、心は理解できるのでしょうか?

ルパートは、肉体は意識が世界として自らを認識するための手段であるが、目の奥にあるという意味ではないと説明しています。肉体は、知覚という限られた観点から見た肉体に過ぎません。肉体は心、つまり思考と知覚によって作られています。

しかし、あなたの現在の経験を認識しているものは、感覚知覚の能力を通して認識しているだけで、覚醒状態において現実に見える時間と空間のどこにも位置していません。私たちが経験を認識するための認識は無次元です。それは別の領域にあります。時間と空間は、次元を持たないこの永遠で無限の意識の領域の顕現なのです。

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この説明はおもしろいです。カリフォルアで寝ている人がパリを歩いている夢を見ているとしたら。パリの街を歩きながら、目を閉じると世界が消えます。また目を開けるとパリの街が見えます。そこにパリの街があって、自分はそこを歩いていると思っています。でも、それはカリフォルニアで寝ている人の夢だったとしたら。

世界はマーヤーだというのと同じ理屈ですね。

2026/01/18

意識の局在化(localization)

ルパート・スパイラは様々な手法で「私」とは何かを説きますが、その中の一つに「意識の局在化」があります。

私にはルパート・スパイラが使う「意識の局在化(localization)」という説明がわかりやすくてしっくりきました。備忘録的にちょっとまとめて書いておきます。

ルパートは私たちの本質のことを、「意識」(awarenessまたはconsciousness)」や「無限の意識」、「無限のもの」あるいは「神」などと呼びますが、ここでは説明の都合上、意識と呼ぶことにします。世界はその意識でできている。できているという表現が適切でなければ、すべてが意識そのもの。

まず最初に無限の一つの意識だけがある。そして、その中のどこかに局在化が起こる。どうして起こるのかは今まで見た動画では説明がなかったが、とにかく起こる。その局在化したものが「私」。局在化という言葉がわかりにくければ、意識が少しだけ濃くなるところができる(これは私が勝手に例えたもの)。セイラーボブなら、大きな海の中に小さな波がポツンと立ったような状態。それが「私」。

局在化した意識の「私」は自分が大きな意識の一部、もしくはそのものだということを知らない。体とマインドを持った「私」は大きな意識を認識することは決してない。ところが、私たちが夜眠りに落ちるとその局在化が少し緩む(弱まる)。すると体とマインドは消えて、そこには時間も空間もない。

私たちが眠っている間は時間も空間もない。なぜなら、時間や空間はマインドの中にしか存在しないから。眠っている間はマインド(思考)は消えている。そして眠りから覚めると、また局在化が強くなり、思考が戻ってきて、時間と空間の中へと戻ってくる。それが毎日繰り返される。

そして私たちが死ぬ時、局在化は消えて無限の意識だけが残る。再び同じ人間としての局在化が起こることはないので、魂のようなものがあってまたこの世に戻って来ることはない。また、魂のようなものがどこか天国で暮らすということもない。

局在化した意識は無限の意識を認識することはできない。なぜならそれは同じものだから。目が目を見る事はできない。局在化がなくなった世界では今私たちが見ているような世界を見ることはない。もともとそんな世界は存在しない。そこには意識だけがある。だから今私たちが見ている世界は幻想ということになる。

以上勝手にまとめましたが、ルパートの説明は合理的で納得できるものです。それでいて、セイラーボブの話と矛盾するような点がない。セイラーボブだったら、海に現れた一つの波で説明するところを、もっとわかりやすく説明してくれています。

また、セイラーボブのミーティングでは、なぜピラミッドが幻なのか、なぜビクトリア通りが幻なのかをこれほど明確な説明で聞いたことはありませんでした。こういう説明ならわかりやすい。