私はセイラーボブが言うアウエアネスが何なのかを理解するのに4年かかりました。それが、私たちの普通の意識のことだだったのには唖然としました。ああ、そういうことだったのかと。
私は、ボブが教えていることを理解したら、何かが起きるのだと思い込んでいました。でも、何かが起きるはずはないのです。なぜなら、普通の日常の意識(アウエアネス)のことを教えているのですから。それがわかってから、ボブの「ただそれだけ」やセイラーボブ以外の非二元の教師たちの発言を読んでみると、すべてがすんなりと理解できました。
多くの非二元の探求者たちは、非二元を理解したら、何か体験的なことが起きるはずだと思い込んでいます。あたかも、意識に何らかの変容が起こって別次元の意識を体験するかのようなことが起きるのではないかと。非二元の教えをちゃんと理解していない人たちが、「私は一瞥体験をした。そこに私はいなかった」と言うものだから、多くの人たちが自分もそういう体験をしないといけないと思い込んでいます。
でも、一瞥体験など起こりようがないのです。当たり前の普通の意識のことなのですから。おそらく多くの一瞥体験者は、間違った情報を鵜呑みにして自分にも一瞥体験が起こるはずだと信じているために、マインドがそういう体験を引き起こすのだろうと思います。それは単なる疑似体験にすぎません。実は私もそういう体験をしたことがあります。
非二元の教えの核は、「もともと私は実在しない」ということです。実在しない「私」が、「私がいないという一瞥体験」などしようがないのです。一瞥体験をした人の多くは「そこに私はいなかった」と言います。では、どうしてそれを覚えているのでしょうか? 「私」がいなかったなら、それを覚えているのは誰なのでしょうか?
そして、決定的な誤りは、一瞥体験をした人は、今はまた「私がいる」と思っていることです。一瞥という意味はそういう意味ですよね。非二元の教えの核は「もともと私は実在しない」ということです。「私がいる」と思っている時点で非二元をちゃんと理解していないことになります。
一瞥体験は、もともと実在ではない「私」を作り出して、その架空の「私」が一瞥体験するというトリップをしているにすぎません。エンライトメントがおとぎ話である以上、その世界を一瞥することなどありえません。
非二元の教師たちが教えていることは、何かになることや何かを体験することではありません。ましてや、何かを達成したり手に入れたりするこではないのです。彼らは単に、私たちの思い違いを気づかせようとしているにすぎません。何かが起きるはずだと思っていると、非二元の教えを理解できずにさまようことになります。