2025/06/27

今この瞬間に存在している生だけがあります

ボブ:なすべきことは何でしょうか? あなたは生(life)そのものであり、生が表現する特定のパターンや形、あるいは形態ではないということを認識、理解することではないでしょうか? 生は無数の多様なパターンとなって表現します。
キリストが「私は命(life)である」と言ったとき、何の事を言っていたと思いますか?
彼は自分自身の命について語っていたと思いますか?
その存在そのものが生なのです。
そして、今この瞬間に存在している生だけがあります。
生とは存在です。
時間をも超えています。
始まりも終わりもありません。
パターンは現れ、戯れ、崩壊し、別のパターンが形成され、現れます。
いわゆる人間の問題すべてがどこから来るのかが分かります。私たちが自らに課している制限や限界からです。「結局のところ、私はただの人間に過ぎない」という。

2025/06/24

その特定のパターンは、万物の中でどれほど重要なのでしょうか?

質問者: それはまた、まさにここでも起こっています。

ボブ: つまり、生は今も表現しているということですね? 生命は始まりました。まあ、生命が始まったとは言えませんが、あなたに関して言えば、精子と卵子が出会ったことから始まったのです。生命はそこで自らを表現しています。自らを成就している、そうではないですか? それは常に、そして永遠に起こり続けているのです。では、そこに死が入り込む余地はあったのでしょうか?

質問者: いずれにせよ、あなたはマインドに向かって話しているわけではありません。ええ、死が入り込む余地はありません。死は私の思考の中にありました。そして今、それを疑っています。

ボブ: すべての死とは、時間です。始まりと終わり。先ほど言ったように、あなたはいつから始まったのですか? あなたが始まった時、あるいは場所を特定できますか? 喪失感や変化などを恐れる必要はありますか? もっとよく事情がわかっているという理由で、それを変更したり、修正したり、修正しようとする存在は必要なのでしょうか? そして、その特定のパターンは、万物の中でどれほど重要なのでしょうか?

2025/06/21

佐々木閑 仏教講義 11「唯識 その1」(「仏教哲学の世界観」第14シリーズ)


佐々木閑先生の新しいシリーズが始まりました。なんと、唯識です。
私はかねがね、佐々木先生が唯識の講義をしてくれないかと思っていたのですが、とうとう始まりました。

仏教の中にある非二元のど真ん中ストライクが唯識です。
はたして世界は空なのか、そして「私」は実在なのか。
どんな話になっていくのか楽しみです。

2025/06/20

それはまさにここで起きています

質問者:別のメッセージを聞くまでは、すべてが本当だと信じていました。

ボブ:それを聞くことによって何が起こったのでしょうか? その別のメッセージに共鳴したと感じたでしょう。それをどこかで認識したのです。

質問者:直観的にそれが真実だとわかったのです。

ボブ:まさにその通り。それが何かを搔き立てのです。

質問者:ええ、結局、航空券を買って太平洋を横断しました。ええ、それは何かを揺り動かしたのです。

ボブ:その揺り動かされたものはどこにありましたか? ここオーストラリアですか? それとも、あなたの出身地のトロントがどこかですか? その、「聞く」という体験はどこで起こりましたか? それは、今あなたがいる場所ではありませんか? 「自分は分離した存在である」という信念の中で、それが何かを聞いて、別の場所、あるいは別の方法で見るようにと突き動かしたのです。

質問者:その通りです。それはまさにここで起きています。

2025/06/17

【日曜説教:令和7年5月】「仏心ひとつ」| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師


盤珪の話は何度聞いてもいいですね。
ああ、生まれたままでいいんだ。一体何を悩む必要があるのか。そう気づかされます。

2025/06/13

「私」が実在しないなら、何を言おうと構わないでしょう?

質問者: 人生の質について話せると思うのですが。あなたはどう思いますか?  こういうことについては、いつもあなたの意見を聞きたいんです。

ボブ: むしろあなたの意見を聞きたいです。

質問者: じゃあ、もし私が何かバカなことを言ったら、黙ってろって言ってくれると約束してください。

ボブ: バカなことを言うなんて思うのは誰ですか?「私」ですか?

質問者: たぶん「私」です。

ボブ: 「私」が実在しないなら、何を言おうと構わないでしょう? そのバカなことを聞​​かせてください。

2025/06/10

それは一つの本質です

ボブ:それは一つの本質です。私たちが話していることを表現するのに、他に適切な言葉は何でしょうか? それは生(life)ではないでしょうか?ニサルガダッタは「生だけが存在する。生を生きる者はいない」と言っています。それが肝心なのです。私たちは生を細分化し、様々な側面や性質があると考えがちですが、すべては生の本質なのです。

質問者:その生の本質なしには何も語れません。自分自身を生から切り離すことはできません。

ボブ:ええ。生からは何も切り離すことはできないでしょう?生は死を知りません。命(life)は常に命(life)によって生きています。命からさらに命が生まれます。

質問者:つまり、剣では切れない、水でも溺れない、ということですね。溺れるように見えるかもしれませんが、溺れないということですね。

ボブ:ええ、生にはそれらすべてが含まれています。あなたがそこに込めたいどんな概念、どんな考え、どんな外見も、すべてその生の本質に含まれています。したがって、それらのものはどれも、いかなる方法、形状、形態においても、それを包含したり、それに触れたりすることはできません。

2025/06/03

思考でさえ生命の本質なのです

存在の感覚は言葉によって「私は在る」という思考に翻訳されます。
それが「私は在る」という原初の思考です。
「私は在る」がなければ、他のものがあるとは言えません。
「私は在る」と言う代わりに、生命の本質がすべてとして表現されていると言いましょう。
その生命の本質なくしては何もありません。
思考でさえ生命の本質なのです。
                                    セイラーボブ