はじめに
2016年2月にセイラーボブのミーティングから帰り、そのことをブログに書いた後2年間はボブに関しては特に何もしなかった。
関係者の Facebook でボブのミーティングがライブ中継されていたので、ボブがミーティングを続けていることは知ってはいたが、ほとんど見ることもなく、本を読んだりすることもなかった。
2018年1月、私のブログを読んだという人からコメントをもらった。
今書いているこのブログは2018年11月に立ち上げたもので、このブログにある、セイラーボブ・ミーティング・2015、同2016は、もともとは私の旅ブログ(拓の世界一周旅日記)の中で旅のブログの一環として書いたもので、そちらにコメントをもらった。
その方は数年間、非二元の勉強をされていて、できれば私に直接会って話を聞きたいという内容だった。
非二元の教え=セイラーボブの教えかどうかはよく知らない。でも、ボブはいつも、彼の教えはヒンズー教の教えであるアドヴァイタをもとにしていると言っている。
サンスクリット語で、Ad=not 、vaita=two、つまりは非二元の教えである。
どうしたものかと迷った。
2016年2月にボブのもとを去る時、ボブは私に「日本に帰ったら、もっとみんなに(ボブの教えを)教えて」と言った。
私はそれほど社交的ではないし、人前に出て話したりするタイプではない。ミーティングを開いて人に教えるなんてガラじゃない。
ボブのことを旅ブログに書くことで、ボブとの約束は果たせたのではないかと考えていた。
直接会うことにも抵抗はあったが、私が困ったのは、その人に直接会って話すことではなかった。直接会って、ボブの教えを話すことはそれほど難しくはない。
ただ、誰かに直接会って話すということを考えた時、もっと大きな問題を抱えている自分に気づかされた。
ボブの教えを学んで、その教えを正しく理解した人たちが次にやることは、ボブの教えを人に伝えること。
2015年にボブに初めて会った時、「ただそれだけ」を書いたカリヤニはもうミーティングには来ていなかったが、ボブとは別の場所でミーティングを主催してボブの教えを広めていた。
2015年当時はギルバートがボブのミーティングの世話係をしていた。世話係といっても、入り口で参加者から20ドル集めて後でまとめてボブに渡す程度のことでしかないのだけど。
そのギルバートは2016年に私がミーティングに行ったときにはもうボブのもとにいなかったが、自分のサイトでボブの教えや、非二元の教えを人に伝える活動をしていた。
2016年のミーティングの時は、サビーナが世話役をやっていたが、サビーナも2017年の途中からミーティングを離れ、自分のサイトでボブやニサルガダッタの教えについて語っている。
ボブのまわりにいた人は、ボブの教えを理解するとボブを卒業して、自分で教え始める。それはボブの意向でもある。
ボブはいつも、「メッセンジャーを信奉するのではなく、メッセージを理解しなさい」と言う。
大切なことは、ボブを信奉することではなく、ボブの教えを理解すること。
ボブの教えを理解した人たちは、今度は自分がメッセンジャーとなって、ボブの教えを伝えていく。
メッセンジャーとなった人たちは、とりたててセイラーボブの名前を全面に出さないで、非二元、もしくはアドヴァイタの教えとして説いている人もいる。
カリヤニ、ギルバート、サビーナを見ていると、彼らはボブの教えを完全に理解していて、「自分が自分だと思っている私は実在しない」「万物は一つのものであり、分離した個人は実在ではない」「世界は意識の中に現れる」ということを、実感を伴うあたりまえの現実として確信している。
だからこそ、人に教えている。
振り返って、自分はどうかといえば、ボブの教えを理解してはいる。しかし、「万物は一つのものであり、分離した個人は実在ではない」「世界は意識の中に現れた見せかけである」というようなことを、実感を伴うあたりまえの現実として確信しているだろうか。
話を聞かせてほしいと言われたことで、それをはっきりと確信をもって実感していないことを気づかされた。もし私が実感を伴うあたりまえの現実としてボブの教えを確信しているなら、コメントしていただいた人に会わないまでも、電話なりメールなりで、丁寧に教えてあげたと思う。
確信がないからためらったのだと思う。
私は正直にこうコメントを返した。
「コメントありがとうございます。
日本で私がボブの話、もしくは非二元の話をする機会は今のところありません。
正直に言ってしまえば、人に話せるほどの確信をもった理解に至っておりません。
ボブが何を言っているのかは理解しているつもりですが、どこか絶対的な確信を持てない自分がいます。
ボブのミーティングは今のところ、Sabinaのfacebookで生中継で見ることができます。日本との時差は2時間です。
生中継でなくてもよければSabinaのサイトにもYouTubeがたくさんあります。
詳しくは私のブログの2015年1月9日セイラー・ボブ・アダムソン②(メルボルン)に案内してありますので、そこで見てください。(コメント欄にアドレスが貼り付けできないようです)
私も、もう一度メルボルンに行く予定ですが、諸事情によりちょっと先のことになります。
YouTubeで見る限り、ボブの英語がますますわかりづらくなってきたなあ、急がなきゃ、なんて思っていますが、今のところは元気にしてくれています。」
私は、情けなさと敗北感でいっぱいだった。
もう一度セイラーボブのミーティングに行こうと思ったが、諸事情により、すぐには行けそうになかった。
そのコメントに返事をした後でも、ボブに関しては特に何をするでもなく時間が過ぎた。
2018年の夏頃、ボブのミーティングの配信が止まり、ボブが人工関節の手術のため入院したことを知った。
ボブの中継をそれほど頻繁にチェックしていたわけではないので、正確にどのくらいミーティングを休んでいたのかははっきりわからない。
病気明けに配信されたミーティングの様子を見て驚いた。
ボブはげっそり痩せて、やつれていて精彩がなかった。
足への負担を減らすための食事制限で体重をずいぶん減らしたという。
おまけにパーキンソン病も患っているという。
ミーティングでは、あまり活発には話さなくなり、カタリーナがボブの代わりに話をして、途中でボブが口を挟むという形式に変わった。
カタリーナは私が2016年に行った時にもミーティングに来ていたが、まだそれほど中心的なことはやっていなかった。
カタリーナはボブの教えをよく理解しているし、カタリーナの英語はボブよりはるかにわかりやすい。それはそれで助かるのだけれど、それを見ているうちに、もう一度ボブに会いたいという思いが無くなってしまった。
私の思い出の中には迫力のある元気な頃のセイラーボブがいる。2015年に半年滞在した時は、毎週日曜日のミーティングのあとにボブを囲んでみんなでイケヤのフードコートなどに行ってわいわいとランチをしたりした楽しい思い出がある。
回りの人も時々私と遊んでくれて、メルボルンには楽しい思い出がたくさんある。
その思い出の中にいる大半の人は、もうミーティングには来ていない。
もう一度ボブに会いに行けば、そうした楽しかった思い出が全部消えてしまうような気がしたし、もう一度ボブに会いに行っても、どうなるものでもなかった。
メッセージはもう十分すぎるほど受け取っている。ボブに会うことで、絶対的な確信が得られるのなら、もうとっくにそうなっているはずだ。
アプローチを変えようと思った。
私はボブ以外の非二元の師、マスターの本は全く読んだことがなかったが、そういう人たちの本を読んでみようと思った。
「全く」という表現は適切ではないかもしれない。ラマナ・マハリシ や ダグラス・ハーディング などの本は昔読んだことがある。でも当時は、アドヴァイタ、非二元などという分類はなく、そういう言葉で書店に並びだしたのはここ10年ぐらいのことではないかと思う。
読んだ当時も、彼らが何のことを言っているのかさっぱりわからないままだったので、アドヴァイタ、非二元の本として読んだとは言えない。
私の住む町には精神世界のコーナーがあるような大きな書店はないので、アマゾンでまとめてアドヴァイタ、非二元関連の本を買うことにした。
ボブの先生であるニサルガダッタ・マハラジの「アイ・アム・ザット」「意識に先立って」、ラメッシ・バルセカール「意識は語る」、その他評判の良さそうな非二元関連の本を4冊、合計7冊買った。
全部を新品で買ったわけではないが、全部で18000円もした。ニサルガダッタやラメッシの本が高いのには驚いた。そんなに売れる本ではないのでしょうがないのかもしれない。
本が届いて、「アイ・アム・ザット」を読み始めたが、数ページで挫折。文章を目で追っても、頭に入ってこない。何を言っているのかよくわからない。こんなに難しくて分厚い本を我慢して最後まで読んだら心の病が再発する。数ページ拾い読みして挫折。
続いて「意識は語る」。これはもっと難しい。過去世や覚醒の話が出てきて、ボブの言わないようなことも言っている。これも数ページで挫折。
「意識に先立って」は比較的読みやすいように思われたが、続けて読む気にならず、数ページを拾い読みしてやめた。
その他の4冊の本は、それほど難しい本ではなかったが、覚醒や目覚めのことばかり書いてあって、ボブの教えとは相容れないものばかりで読む気にならず、どれも数ページを拾い読みしただけでやめた。
18000円も出したのに、たった半日で全部要らないものになってしまった。気に入らないものが視界に入ると神経症がうずく断捨離マニアの私は、すぐに全部をアマゾンの宅配買取サービスに出した。
全部で5400円で売れた。半分は中古だったとしても、状態の良いものばかりだったせいもある。それにしても買取価格が高くてうれしかった。
でも実際には12000円ほど損したわけで、それでも喜んでいるという自分がおかしかった。
ボブ以外の本を読んでもボブを理解する役には立たないということがわかっただけでもよかった。
本棚の隅にまとめて置いてあったボブの本を順番に読み直すと同時にYou-Tubeでボブのミーティングをせっせと見た。驚いたのはYou-Tubeの自動字幕表示機能。知らない間にものすごく進化していて、ボブの聞き取りづらい英語をかなり上手に拾うようになっていた。それを使って何度か聞けば、聞き取れないところはほぼ無いと判明。
ミーティングではカタリーナがボブに頼まれて半分ぐらい喋る形式に変わり、彼女の英語はとても聞き取りやすくて助かったが、ボブの英語はますます聞き取りづらくなった。
ギルバートの書いた本も読む一方で、彼の Facebook も読んだ。
毎日、セイラーボブの世界にどっぷりとつかる日々が3か月ほど続き、理解の浅かった部分が少しずつ解消されていった。ああ、そういうことだったのかと思う瞬間が何度かあった。
まるでセイラーボブの教えという大きなジグソーパズルの欠けていたピースが一つづつはまっていくように理解が深まった。そしてとうとう欠けている部分が一つもなくなった地点に到達した。
覚醒が起こったわけでも、何か特別な理解が起こったわけでもない。ボブのいくつかの言葉、ギルバートの本の一節、彼のFacebookのいくつかの書き込み、カタリーナの説明など、いくつかのきっかけで、理解の浅かったところがなくなり、完全な理解に到達した。
私は、「自分が自分だと思っている私は実在しない」「万物は一つのものであり、分離した個人は実在ではない」「世界は意識の中に現れる」ということを、「実感を伴うあたりまえの現実として確信」できなければダメだと思い、それを探し求めた。でもその必要すらなかった。一体誰がその実感を求めているというのか。
「私」が確信していようがいまいが、何の違いもない。「私は確信してない」「私は確信した」と言ったとたんに、いるはずのない「私」がやってきて、マインドの仕掛けた轍(わだち)にはまってしまう。
もし、「実感を伴うあたりまえの現実として確信したい」と探し求めるなら、エンライトメント(覚醒)を求めて12年修行する人と同じ過ちを犯すことになる。
ボブの教えていることは「私は理解した」「私は確信していない」というマインド(思考)の外にあること。
答えはマインド(思考)の中にはない。答え(本当の理解)はマインドが静かになった時、そこにある。答えはマインドの外にある。
マインドの外にあるのは意識(アウエアネス)。それが私であり、世界はそこに現れる。そこには理解している私も理解していない私もいない。あるのは意識だけ。Full Stop!
私が「私」だと思ってきたものは、単に記憶の集積にすぎず、そこには実体のあるものは何もないということを完全に理解した。
「私」は体でも思考でもないということを完全に理解した。
すべては概念であり、その概念を取り去ると、そこには何もなく、「私」はいないということを完全に理解した。
前2回のミーティングの時も完全に理解できたと思っていたが、疑問が湧いてきて理解が揺らいだ。
マインドは疑問を作り出すのが仕事だから、今後また疑問が湧いてくることがあるかもしれないが、もうこの理解が揺らぐことはないと思う。
ボブの教えをもっと多くの人に知ってもらいたいと思うようになった。
最初に、ボブの講話集「What's wrong with right now?」を翻訳させてもらえないかと考えたがやめた。薄い本で英語もそれほど難しくはないが、素人の私が出版するのはそれほど簡単ではなく、どこかの出版社が出版してくれる見込みはかなり低い。
ボブの本は人気がない。ジェームズ・ブラハの本に出てくる話によれば、ボブの本は全米でおそらく1000部ほどしか売れてないではないかという。
またYouTubeでボブのミーティングが配信されてもせいぜい300アクセスあればいい方。世界中でそれだけの人しか見ていない。これがエックハルト・トールだったら、世界中で何百万という人たちが月々19.95ドルの会費を払って彼のサイトにアクセスしている。
「私は覚醒した」とか「あなたはもうすぐ目覚める」というタイプの本は売れるが、ボブのように「あなたはもともとそれだ」「覚醒なんてない」という本は売れない。
みんな何かになりたくてしかたがないからだ。
e-bookという方法も考えたが、版権や技術的な問題もあるし、ボブの教えを売って対価を得るというのも嫌だなと思って断念した。
次に、ボブのYouTubeに日本語字幕をつけたらどうかと考えた。ちょっと試しに活字に起こす作業をやってみたところ、活字に起こすには膨大な時間がかかるとわかった。
一番手っ取り早い方法を考えたところ、ボブの教えをネット上で説明する方法以外にないと思い、このブログを作った。
みんなが気軽に読んでもらえるようにと、Sailor Bob's Cafe という名前にした。最初はBob's Cafe にしたが、そういう名前の喫茶店が日本中にたくさんあるとわかったので、今の名前に変更。
手始めに、「拓の世界一周旅日記」の中で書いたセイラーボブ関連の連載二つを加筆・修正してわかりやすくし、タイトルを「セイラーボブ・ミーティング・2015、同2016」としてこのブログに移記した。
ボブの直接の言葉ではないが、私なりにボブの教えのダイジェスト版のようなものとして、「はじめに」を書いて公開した。セイラーボブのホームページも翻訳掲載した。
そして今、新しいシリーズとして、「セイラーボブの教え(詳しく)」を書いている。
本当はボブ関連の本からたくさん抜粋して翻訳して載せたいが、引用は著作権上許されるであろう最小の範囲にとどめる予定です。
セイラーボブのことを学ぶなら、以下の三冊がお勧め。
Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob Adamson (English Edition)
What's Wrong With Right Now?
Presence-awareness: Just This And Nothing Else
もし辞書片手にでも英語で読めるなら、ぜひ上記の三冊のうちどれかを読むことをお勧めします。(上から順におすすめ順)